vol.14 根岸慎さん


話を聞いてみる、やってみる、道をみつける

今回はアメリカの大学院修士課程でTESOL(英語教授法)を学んだ後、アメリカの大学で日本語を教えていた根岸慎さんです。2020年2月6日、約2時間にわたってお話をうかがいました。


《今回の「日本語教師」》根岸慎(ねぎし・まこと)さん 東京都大田区生まれ。テンプル大学ジャパンキャンパス日本語講師。日本の4年制大学を卒業後、日本国内の大学院に進学するものの、米国の大学院に進学することを決意し、中退。フリーター、また横浜DeNAベイスターズの野球教室運営ボランティア等を経て、2012年に渡米。2014年、修士課程修了後、専任日本語講師となり米国アリゾナ州立・北アリゾナ大学に勤務。2015年から2018年まで毎夏、日本国内の夏期日本語集中プログラム(金沢工業大学、プリンストン in 石川)にて留学生への日本語指導にあたる。北アリゾナ大学では日本語プログラム主任も務めるが、2019年に活動の場を日本に移す(TUJ日本語会話ミニレッスン)。


「言語教授法が学べるアメリカの大学院に行こうと思った」
―大学卒業後、フリーターを経て、アメリカの大学院に

瀬尾ま 日本語教師になろうと思われたきっかけは何だったんですか。

根岸 高校生の時は、大学では保育士になる勉強をしようかなと思っていたんです。でも、男性保育士は数が少なくて、収入的にも厳しいっていう話を聞いてやめて、とりあえず英語を勉強したら選択肢が増えるかなと思って、大学では英語科に進むことにしました。

瀬尾ま 英語はもともと好きだったんですか。

根岸 そうですね。比較的得意な科目でした。ゼミは、たまたま友達に英語音声学の本を勧められて読んでみたら面白くて、英語音声学のゼミに入りました。そして、大学在学中に何か成し遂げておきたいと思ったので、4年生の9月から12月の4か月間、アメリカ・オレゴン州の大学に交換留学をしました。

瀬尾ゆ 大学卒業直前にってことですか。

根岸 そうです。12月に帰国して、そのまま4月から大学院に進むことにしました。でも、正直なことを言うと、研究したいトピックがあまり定まってなかったんですよね。当時は就職氷河期だったので、「大学院に行って2年ぐらい経てば、就職状況がよくなってるよ」って言われたのを真に受けて進学したんです。でも、大学院って研究するところじゃないですか。自分には研究したいトピックもなかったし、大学院は授業がたくさんあるわけでもなかったので、大学生の時からやっていたラーメン屋のアルバイトのシフトを増やすことになりました。でも、「これってフリーターと変わらないな」と思って(笑)。結局3か月ぐらいで大学院をやめちゃったんです。

瀬尾ま 結構早い段階でやめられたんですね。

根岸 はい。研究トピックがないのに大学院に入ってしまったということも理由なんですが、やめてしまったのは、オレゴンに留学したときに出会った日本語の先生の影響もありました。

瀬尾ま 日本語の先生?

根岸 隣町の高校で日本語を教えていた人なんですけど、いろいろ話を聞いていたら、その人はアメリカに留学する夢を持って大学時代も大学卒業後も塾講師をしつつ貯金して、アメリカの大学院に進んだと言っていたんです。アメリカの大学院に行って、言語の教え方を勉強して、自分の母語である日本語を教えたり、アメリカに残って就職したりできるっていう話が僕にはすごい現実的に見えたんですよ。僕も音声学を勉強していたので、TESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages: 英語教授法)につながるんじゃないかなと思ったんです。それで、お金を貯めて、言語教授法が学べるアメリカの大学院に行こうと思いました。

瀬尾ゆ お金を貯めるのにどのぐらい時間がかかりましたか。

根岸 2、3年ですかね。ラーメン屋のバイトを続けて、1対1の個別塾で教えたりしていました。あと、今はもうだめですが、当時は保育士の資格がなくても保育補助として保育園でアルバイトができたので、そういうのもしていました。

瀬尾ま すごく頑張られたんですね。日本語教師になることを考えるなら、日本の大学院とか420時間の日本語教師養成講座という選択肢もあるのかなと思うんですが、そうではなくアメリカの大学院を目指したんですね。

根岸 大学で1学期間だけオレゴンに留学したときに、ESL(English as a Second Language;留学生向けの英語科目)しか取らせてもらえなかった悔しさもあったんですよね。「ずっとESLか」って。だから、やるんだったらアメリカで修士やりたいなって。

瀬尾ゆ アメリカに行きたいっていう気持ちが強かったんですね。

根岸 そうですね。あ、でも日本語教師になるためといえば、大学院に入る前にアメリカの「森の池」で働きました。そのオレゴンで出会った日本語の先生に勧められて応募したんです。

瀬尾ま 森の池、私たちも大学院生の時に働いていました。だから、私たちはどんな所かわかるんですが、読者にもわかりやすく説明していただけますか。

根岸 はい。「森の池」というのは、アメリカのミネソタ州で行われているサマーキャンプの名称です。小学校低学年から高校生までの子供たちと一緒に、ご飯を食べたりクラブ活動をしたりする生活のなかで、教師は日本語だけを使うという日本語イマージョンのプログラムですね。また、クレジットプログラムという高校生を対象にした4週間のプログラムでは、日本語の授業も毎日あって、高校生たちはこのプログラムを終えると自分の高校の外国語の単位がもらえます。ほかに、1週間や2週間のプログラムもあって、夏の間に合計3か月近く子供たちと一緒に生活していました。だから、大変ではあったんですけれども…。

森の池で同僚と

瀬尾ま 初めて日本語を教えてみていかがでしたか。

根岸 森の池の子供たちはアメリカのいろいろな所から来ているのですが、みんな共通して「日本語を学びたい」って気持ちを持っていて、日本の文化にすごく興味がある。自分が当たり前に使っていた日本語や日本文化を、学びたい、もっと知りたいっていう人がいっぱいいて、おもしろいなと思いました。森の池での仕事をきっかけに、将来日本語を教えたいという気持ちが強くなりましたね。

でも、当時はやっぱり日本語の教え方も知らないし、教えるための日本語の文法もわからなかったので、本当に死に物狂いで、1日の仕事を終えた後、毎晩職員室で日本語非母語話者のプログラムの主任に「日本語のifにはどんな種類がある」とか聞いて、文法を説明してもらったり、文法書を紹介してもらったりしていました。森の池が終わって日本に帰ってきたら、本屋に行って文法書を何冊か買って、「次の夏も森の池に行くぞ!」と思っていましたね。

瀬尾ゆ はまったんですね。

根岸 はまりましたね。結局、3回行きました。

「いろんな人に出会えて、お話を聞いて、道が見えた」
―アメリカの大学院進学、在学中から日本語を教える機会を得る

瀬尾ま 日本語教師を目指されていたのに日本語教育ではなくTESOLに進まれたのも、何か理由があったんですか。

根岸 大学院に行く前に相談した方々が、もともとTESOLや言語学を勉強してアメリカで日本語を教えていたというのがありますね。日本語の修士課程も少し考えたんですが、最悪アメリカで日本語教師の仕事がなくても、TESOLを学んでいたら日本に帰って英語を教えられる可能性があるって、その方々に言われて。

瀬尾ま 大学院への進学は大変でしたか。

根岸 最初に大学院に応募したときはTOEFLのスコアが低くて、応募できる大学があまりありませんでした。でも、オレゴンで出会った日本語の先生が修了した北アリゾナ大学の大学院についていろいろと聞いていて、そこに行きたかったので、出すだけ出してみました。そこはTOEFL iBTで89点必要だったんですけど、僕は88点で、1点足りなかったんです。ただ、点数が足りなくても条件付き入学でESLをとりながら、大学院の授業をとることもできると聞いていました。でも、やっぱり1点足りなくて、入れなかったんですよね。それで、応募書類の準備のときにやり取りをしていた向こうの大学の方に「どうして落ちたのか調べてもらえませんか」とメールで尋ねたんです。すぐに返事が来て「あなたは必要なTOEFLスコアに1点足りなかった。その要件を満たさずに入って、大学院で苦しんでしまう人が多いから、どうしてもそこは譲れなかったそうだ」ということでした。そして、「もう1年がんばって勉強してみなさい。大学院で読むような専門書を買って、それを要約する練習をしてみなさい。どっちみち大学院に来たら、それをやるんだから」って、会ったこともないのにアドバイスをしてくれたんです。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

根岸 で、もう1年、がんばるかと思って、似たようなフリーター生活をして、TOEFLも受けて、次は結構点数が高かったので、いろんな大学に応募ができて、3つ合格したんです。ティーチング・アシスタントとして日本語を教えて、授業料を全額免除してくれるという条件のところもありました。でも、前の年に不合格になった北アリゾナ大学にはいつも返信をくれた親切な人がいたし、学部生の時に読んだことがある第二言語リーディングの論文を書いた先生もいたので、ぜひその先生にも会ってみたいと思って、奨学金制度もティーチング・アシスタントのオファーもなかったんですけど、そこに行くことに決めました。

瀬尾ま 大学院はどうでしたか。

根岸 先生が「将来日本語を教えたいんだったら、課題のトピックは日本語関係でもいいよ」と言ってくれて、社会言語学の授業では男言葉・女言葉をトピックにさせてもらったりしていました。それに、教育実習の授業でも、他のクラスメートは町にいる英語非母語話者にボランティアで英語を教えていたんですけど、先生が外国語学科の人と話をしてくれて、僕は日本語テーブルをやらせてもらえたんです。

瀬尾ゆ 日本語テーブル?

根岸 日本語テーブルというのは、毎週金曜日に2時間、大学にいる日本人留学生にも来てもらって、英語と日本語で学生同士がおしゃべりをする会のことです。交流の場でもあるし、ときどき日本映画を一緒に見たりもしました。

瀬尾ま 楽しそうですね。大学院在学中に、実際に日本語を教えたりはできたんですか。

根岸 その大学には、10数年教えている日本語の先生がいらっしゃったんですけど、日本語を勉強したいという学生が増えても先生が1人しかいないので、クラス数が増やせなかったんです。そこで僕が紹介されて、大学院の1学期目からは非常勤講師として日本語を教えさせてもらうことになりました。その時はティーチング・アシスタントではなくインストラクターという身分だったので、授業料の免除はなかったんですけど、学科長が上に働きかけてくださって、大学院の2年目から授業料免除でさらにStipendという奨学金ももらえるようにしてくれたんです。教える授業の数が増えたし、大学院のコースワークも忙しくなって大変ではあったんですが、森の池でやってきたことを自分の授業に生かしたり、大学院で学んだことを試したりできたので、いいサイクルができたなと思いましたね。

北アリゾナ大学日本語クラスで

根岸 修士課程修了後は、そのままその大学でインストラクターとして働かせてもらえることになりました。結局、その後5、6年そこで教えました。

瀬尾ま そのまま大学に残ることができたんですね。

根岸 そうです。ありがたいですね。いろんな人に出会えて、お話を聞いて、道が見えたと思うんですよ。オレゴンで出会った日本語の先生もそうだし、森の池の上司や大学院進学の時にアドバイスをしてくだった先生、こういった方々に会っていなかったら、アメリカの大学院はハードルが高くて、まず進めていなかったと思います。

「学習者に日本語に興味を持ってもらえるように仕向ける」
―アメリカの大学で働く

瀬尾ゆ アメリカで日本語を教えることの魅力は、どういうところに感じていらっしゃいましたか。

根岸 そうですね。日本語を通して学習者の生活が見えるところがよかったですね。例えば、課題で作文を書かせたら、その人の家族のことや、パートナーのこと、アルバイトのこと、自分の趣味のこと、自分の好きな場所を書いてきたりします。そういうのを見てると、かれらの生活が見えてきて、自分が見たことのない世界をかれらが日本語を使って紹介してくれるのがおもしろいなと思いました。

瀬尾ま 初級の学習者ですか。

根岸 いわゆる総合日本語クラスの初級で、自分の1週間の生活を紹介していて、例えば、「月曜日は友達と遊んでゲームをして、寝る時間が遅かった」と学習者が言ったら、「何やってんだよ」って突っ込んだり、「どんなゲームやってるの? そういうのがあるの? おもしろいね」とか言ったりしていました。学習者も心を開いて話してくれるので、そういうコミュニケ―ションがいいなって思っていましたね。

瀬尾ま 年齢が近いっていうのもあるんですかね。

根岸 それはあるかもしれないですね。僕が大学院を終えたのは、26、27歳くらいで、学習者は18から22歳が多かったので。いろんなSNSを使ったり、ゲームはオンラインで買ったり、音楽もCDじゃなくてダウンロードしていたりしていて、消費行動は似ていたのかもしれません。経済的なレベルも似ていて、「アルバイトばっかりで寝られないんです」っていうのは、僕もフリーター時代にバイトを掛け持ちしていたから、すごくわかるんですよね。批判するわけではないんですが、アメリカの日本語教育の業界って、年齢的にも性別的にも偏っているな、もうちょっとバランスが取れていたらいいかなって思うこともありました。それはきっと結婚してアメリカに行くと就労できるという、ビザの問題もあったからからなんだと思いますけれど。

瀬尾ま ビザをとるのって大変なんですか。

根岸 僕と年齢が近い人にアメリカの学会で何人か会ったんですが、話を聞くと、今は本当にビザがおりないみたいなんです。僕が持っていたビザは就労ビザで3年間有効なんですけど、J1ビザっていう文化交流ビザで働いている人は1年ごとの更新で、毎年いつ首を切られるかわからない状態でやっているっていう話を聞きました。

瀬尾ま 就労ビザは取りにくいんですか。

根岸 そうですね。ビザを取るためには雇い主である学校にも経済的な負担があるんですよ。どこの大学もなるべく予算を抑えるようにするので、プロフェッサーじゃない単なる講師にはお金を出し渋るというか……。そして、法律で決まっているのだと思うんですが、契約更新をするときには全国に応募をかけて、他の応募者と比較して「この人は、こういう理由で、ここに残る必要があります。だからビザの申請をしたいです」っていう文面を提出して、雇い主もお金を出して、ビザの申請をしないといけないんですよ。それがうまくいくと、まず3年の就労ビザがもらえて、その3年が切れたらもう1回更新できて、トータル6年働くことができます。そして、6年に達してしまうと、今度はグリーンカード(永住権)を申請しなきゃいけないんです。
(※ビザについては大使館・領事館に確認し、最新の情報を入手してください。)

瀬尾ま グリーンカードはもっと難しいんですか。

根岸 グリーンカードはなおさら難しくて、雇い主がグリーンカードを申請するためには弁護士を雇わないといけないので、お金も時間もかかります。僕も大学がグリーンカードを申請してくれるっていう話になっていたんですが、日本で日本語を教えることにも挑戦したいなと思うようになったり、家族のこともあったので、ずっとアメリカにいるわけにはいかないなと考えて、2019年に日本に帰ってくることにしました。

金沢での夏プログラム修了式

瀬尾ゆ 日本で教えるのは初めてですよね。

根岸 実はアメリカで働いているときに、日本の大学のサマー・プログラムで3回ぐらい教えたことがあったんです。アメリカの大学は9か月契約で、夏の間は仕事がないんです。僕はずっと働いていたい性格なので、全米日本語教師会のウェブサイトに出ていた募集を見て、応募しました。

瀬尾ま アメリカと日本で、何か違うことはありましたか。

根岸 一番大きい違いは、日本語を使う環境です。アメリカはほぼ日本語を使う環境ではなかったので、教師がいろいろ用意して興味を持ってもらうように仕向けることが多くて。そこには、履修者がいなければ日本語プログラムがつぶれちゃうかもしれないから、履修者を確保するというテクニカルな理由もありますが……。
日本で夏の間に働いていたプログラムでは、キャンパス内で漢字を見つける活動をしたり、カフェテリアにいる日本人に「おふくろの味とは何か」みたいなインタビューをしたりしていて、教室外で日本語を使うチャンスがあるのっていいなって思いました。

「いろんな話が聞けるのも楽しい」
―学会に参加して、いろんな人と話す

瀬尾ゆ 学会発表もよくされていたんですか。

根岸 そうですね。大学院で学んでいるときに、教育実習のクラスで外国語の授業を見学に行って、1、2ぺージのレポートを書くっていう課題があったんです。それで、僕のクラスメートは日本語が全然わからないんですけど、僕の授業を見に来てレポートを書いてくれたんです。すると、教育実習を担当していた先生が、「マコトのクラスを見に行った人が毎回同じことを書いている。これは何かあるぞ」と。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

根岸 その時に僕がやっていたのは、授業が始まる5分前に日本の音楽のミュージックビデオや外国人YouTuberが日本を紹介するビデオなどを見せていたんです。というのも、クラスが始まる前って、みんなスマホを見て俯いていたり、少しでも睡眠をとろうと俯せになっていたりして、気まずい雰囲気が流れていたんですよ。だから、何か少しでも盛り上げたり、学生をなるべく早く来させたりしたいなと思って、やっていたんです。そうしたら、先生が「これ、学会で発表できるから、やってみたら?」っておっしゃってくださって、地域のTESOLの小さな学会で発表させてもらいました。それ以降も、普段やってる授業の問題を解決するような実践、いわゆるアクションリサーチみたいなのをやっていますね。

アリゾナで同僚と学会発表

瀬尾ま 学会で発表するのは楽しいですか。

根岸 発表したからってボーナスが出るわけではないですが、「これを解決するためにこれをやってみました、そうするとこうなりました」って自分で実験をするのは楽しいですし、普段からそういう目を持って教えたほうが自分のためになるかなと思うんですよね。そして、発表を聞いてくれた人からいろんな意見がもらえるのもおもしろいです。それに、学会に行くと他の学校の先生方に会えて、どんなクラスを開講しているかとか、開講するのにどんな経緯があったのかとか、いろいろな話が聞けるのも楽しいですね。

瀬尾ま 大学からは学会に参加するための援助をもらえたんですか。

根岸 援助は年間700ドル(約7万円)しかなかったので、会場近くの高いホテルには泊まれないんですよ。だから、ちょっと離れたモーテルに泊まって、ウーバーを使って会場に行ったり、朝早く起きて歩いたりしていました。でも、それでも行く価値があるなと思ったんですよね。他の先生の様子も知れるし、出版社も来てるので、ネットワークづくりには本当にいいなと思っていました。

「話を聞くチャンスを作ったほうがいい」
―根岸さんからのメッセージ

瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージをお願いいたします。

根岸 日本語教育に興味がある人は、実際に働いている人に会って、話を聞いてみてほしいですね。そして、もしチャンスがあるなら、ボランティアでもいいので、とりあえず日本語を教えてみる。やってみて日本語教育にはまったら、本格的に学位をとるなり日本語教育能力検定試験を受ければいいと思います。それで、自分には違ったなと思ったら、別に日本語教師を目指さなくてもいいと思うんです。でも、この仕事って、やっていると本当にいろんな文化の人に会えるから、本当におもしろい仕事だと思います。だから、たぶん何歳になっても飽きないと思うんですよね。

瀬尾ま 自分に合っているかどうかを確認してみることがまずは大事ということですかね。

根岸 そうですね。本とかでも、いっぱい情報はあると思うんですけど、実際に教えている人に連絡を取ってみて、話を聞くチャンスを作ったほうがいいと思いますね。

インタビューを終えて

瀬尾ま 私も「森の池」で教えたことがあったので、親近感を感じながらお話を伺っていました。実はその「森の池」つながりで、根岸さんからメールで相談を受けたことがあります。当時はまったく面識がなかったのですが、真面目で積極的な根岸さんをメールから感じました。積極的にいろいろな人とつながろうとする根岸さん、そしてそのつながりから自身のキャリアへのヒントを得ようとしている姿を今回のインタビューから感じました。

瀬尾ゆ 森の池、日本語テーブル、非常勤講師、インストラクターと徐々に日本語教育に深く関わるようになった根岸さん。日本語教育に興味を持ったら、根岸さんのようにまずはできるところから関わってみると、道が開けていくのかもしれません。一方、ビザやいつ日本に帰るかというお話は、私自身もそうでしたが、海外で働いている日本語教師の多くが直面する問題ではないかと思いました。

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