vol.8 小西達也さん


自分で考える、伏線を張る、日本語教師で一本の道を通す

今回はベトナムの大学で教員をされている小西達也さんです。2019年4月15日、オンラインでベトナムのハノイにいらっしゃる小西さんに約2時間にわたってインタビューさせていただきました。


《今回の「日本語教師」》小西達也(こにし・たつや)さん ハイフォン公立大学講師。大学で日本語教育を専攻して以来、中国で大学の外籍教師、国内で非常勤講師、日本語教師養成講師、ベトナムの大学での日本語教師養成講師、日本語で学ぶ法学プログラムの日本語教育コーディネーターを務め、現在はベトナムの地方都市の大学で日本語学科立ち上げを目指す。日本語教育一筋16年。海外における「日本語教師養成」「職場環境」「教師の成長」に関心を持っている。京都外国語大学大学院外国語研究科 異言語・文化専攻 実践言語教育コース(日本語教育)博士前期課程修了。


「絶対に日本語教師で一本の道を通したい」
―「日本語教師は食えない」への反骨心

瀬尾ま 日本語教育にはいつ頃から興味を持たれたんですか。

小西高校3年生の頃ですね。それまでは、ずっと野球だけをやっていたんです。高3の夏に最後の大会が終わって、大学のことを考えないといけなくなって、将来何をしようかなっていろいろと考えたんです。それで、いろんな人たちの考え方や文化を知りたいし、海外にも行ってみたいなって思いながら大学ガイドを見ていたら、日本語を使って外国人と接することができる仕事として、日本語教師が紹介されていました。それで初めて日本語教育を知りましたね。

瀬尾ゆ それで、大学は日本語教育を勉強できるところに入られた?

小西 はい。私は関西出身なんですが、関西で日本語教育の勉強ができる大学をいろいろと探していたところ、「実践日本語教育」という授業が京都外国語大学にあるのを見つけました。1年生のときから模擬授業みたいな演習科目もあって、実践的にいろいろ学べそうだなと思って、ここを選びました。

瀬尾ま 京都外国語大学に入って、どうでしたか。「これだ!」みたいな感じだったんですか。

小西 いや、それが、大学に入って最初のオリエンテーションで日本語学科の日本語教育学が専門ではない先生の一人に「日本語教師は食っていけないぞ」って言われて。その時点で大丈夫か? って思った記憶がありますね。クラスメートのなかには、その一発で日本語教師になるのはやめようと思った人もいましたし。

瀬尾ま 同級生は、日本語教師をやっていない人のほうが多いんですか。

小西 100人ぐらいいる同級生のなかで、卒業してすぐに日本語教師になったのは10人いるかいないかだと思います。さらに、そのなかで今もやってるのは、3、4人ぐらいだと思います。

瀬尾ま 小西さんは、「日本語教師は食っていけない」ということばにくじかれなかったんですか。

小西 私は、自分で道を作って日本語教育を極めていって、絶対に食っていけるようになるぞって思いました。

瀬尾ま すごいですね。そのために特別に何かしたことってありますか。

小西 1年生のときから、日本語教育能力検定試験を受けました。1年目はだめでしたけど、がんばって2年目には受かりました。ただ、1、2年生の頃は、アルバイトとか、遊んだりしていて、そんなにがんばった記憶はないです。でも、3年生になって、日本語教育で一本道を通したいと思っていたけれども、やっぱり経験もないし、本当に教えられるのかって不安になってきて。それで、大学のAVルームで日本語教育の授業に関するいろんなビデオを2、3か月かけて100本ぐらいだったと思いますが、数十本以上ありったけ見ました。

瀬尾ま そのビデオって、どういうものですか。

小西 市販のビデオもありましたし、どこかの大学が作っているものとか。授業の風景、教え方、だめな授業の例とか……。いろいろありましたね。

瀬尾ゆ 100本ってすごいですね。

小西 本当にやばいと思ったんですよ。

瀬尾ま 大学の主専攻で日本語教育を勉強して、日本語教育能力試験も受かってるのに、どうしてそんなに「やばい」と感じたんでしょうか。

小西 私は、日本語教師は必ずしも自分に合ってる職業ではないと思ってるんです。私はそんなにコミュニケーションが得意じゃないんです。たくさんの人とコミュニケーションをとるよりも、1人の人と深く付き合いたいと思うタイプ。人前で話すのもすごく緊張するし、模擬授業もいつもドキドキしながらやっていたので、こんなので絶対に人前に立って教えられるはずないって思ってたんです。でも、さっきも言った、絶対に日本語教師で一本の道を通したいっていう気持ちがあったので、逆に他のことはせずに、日本語教師しかできないようにしてやるっていう。

瀬尾ま 日本語教育以外の道は?

小西 捨てた。自分で捨てました。

瀬尾ま 不安じゃなかったですか。周りが就職活動を始めるなかで、日本語教師だけで一本貫くっていうのは。

小西 不安はありましたよ。でも、一本の道を通せば、なんか見えてくるだろうと思っていました。日本語教育一本に絞っていけば、日本語教育については他の誰よりも絶対できるようになるって信じていました。もちろん不安でしたが、そういう気持ちでやりましたね。

「伏線を張っておかないと」―戦略的に自分のできることを増やしていく

瀬尾ま 大学を卒業してからは、どういった形で日本語教育に携わったんですか。

小西 大学の先生は私が日本語教師になりたいっていうことを知っていたので、日本語学校や海外の大学など、いろいろ紹介してくださったんです。先生が紹介してくださるところなので、待遇がよかったり、先輩がいるような安心できるところばかりだったんですが、私の性格上、コネじゃなくて、自分で探したいっていう思いがありました。それで、自分で仕事を探しました。新卒だったので、9校ぐらい落ちたんですけど、最後に中国の大学に受かって、そこで2年間働きました。

中国の大学で

瀬尾ま 中国に絞って探していたんですか。

小西 大学で働きたかったんですが、韓国の求人募集は修士以上とか、経験何年以上とかって書いてましたので、ハードルが高すぎて無理でした。中国は少し給料は安かったんですが、大学でっていう思いがありましたし、中国語を第二外国語で勉強していたということもあったので。

瀬尾ゆ 大学でというのは、どうしてなんですか。

小西 戦略ですね。中国で現地採用なので、1ヵ月5、6万円の給料でした。だから、「なんでそんなところで働いているの?」って他の人からいろいろ言われることもあったんです。でも、大学で働くと、日本語学校で働くよりも自分で考えて授業を作れるというメリットがあるんじゃないかと思ってたんです。自分で道を作っていけるので、他の人から何を言われてもその道を通せるようになると考えていましたね。

瀬尾ま 中国で働いた2年間はどうでしたか。

小西 大学時代に実習をしたりビデオをいっぱい見たりしていたので、教えることに関しては、そんなに不安はありませんでした。そして、今ふりかえってよかったなと思っている点は、やっぱり自分で授業を作って学生の反応が見られた点ですね。もし先輩の言う通りにしなければならない学校に就職していたら、今の私はないと思います。

瀬尾ま 自分で考えて授業を作れたっていうのが大きいわけですね。

小西 そうです。でも、やっぱり初めてだったので、授業準備にものすごく時間がかかって、毎日徹夜だったのを覚えてます。けど、それでもやっぱり自分で作ったっていう経験ができたので、それがよかったですね。

瀬尾ゆ お金は大丈夫だったんですか。

小西 給料は1か月5、6万円でしたけど、大学の寮が無料で使えるし、ほとんどお金はかかりませんでした。もちろん生活費は出ていくんですけど、将来大学院に行こうと考えていたので、節約していました。あと、夏休みと春休みに日本に帰ったときに1か月ぐらいアルバイトしてました。1か月に18万円ぐらい稼いで、中国の3か月分の給料でしたね(笑)。

瀬尾ま 何のアルバイトだったんですか。

小西 教育とは関係のない、データ入力とかそういうのです。お金稼ぎのためだけの仕事ですね。

瀬尾ゆ 大学を卒業してすぐに大学院へ行こうという考えはなかったんでしょうか。

小西 研究したほうが将来につながると思っていたので、大学院進学を考えてはいたんです。ただ、やっぱり現場のことを知らないと研究することも見つからないだろうし、あまり意味がないという思いがありました。なので、1回現場に出てから、研究したいことが見つかるまでは日本に帰らないっていう思いで中国に行きました。それで、働きはじめてから1年半後ぐらいから研究したいなって思えるものが見えてきて、京都外国語大学の修士に進むことにしました。

瀬尾ま 京都に戻ってからは、日本語を教えるお仕事は続けられたんですか。

小西 はい。語学学校で日本語を非常勤で教えていたんですけど、大学院2年目のときには、職業訓練所のようなところで教師養成の授業も担当させてもらうようになって、私のなかでは次のステップに進んだような気持ちになりましたね。

瀬尾ゆ そういう仕事ってどうやって見つけられたんですか。

小西 普通に募集が出ていました。中国に行っただけだし、落ちるだろうなと思ってたんですが、タイミングがよかったのか、採用してもらえました。

瀬尾ゆ へー。

小西 この理論はこうなってるから現場で役立つんだよっていうことを授業で話すので、自分のなかの整理やふりかえりにもなって、本当によかったです。

瀬尾ゆ 大学院修了後はどうされたんですか。

小西 実は、行政書士の試験のために1年間独学で勉強したんです。あと4点ぐらいで落ちちゃったんですけど。

瀬尾ま 惜しかったですね! でも、なぜ行政書士を目指されたんですか。

小西 日本語教育とは違う考えも知りたいと思って。将来、行政書士の知識を日本語教育に生かせる可能性もあるかなとちょっとは考えていましたけど、行政書士になろうっていう気持ちは全くなかったです。1年間、行政書士の勉強しながら、次の就職先を探しました。

瀬尾ま その後はどうされたんですか。

小西 ベトナムのハイフォンで仕事が見つかりました。そこは新しく日本語学科を立ち上げて、現地の先生も育ててくださいねっていう、これまでの自分の経験にプラスアルファされた仕事内容だったので、これはおもしろそうだなと思いました。これからベトナムは日本語教育が発展していくだろうっていうのも感じていて、そこに行ってみたいなとも思ったので、ベトナムに行くことにしました。

瀬尾ま 特にベトナム語ができたわけでもなかったんですよね。

小西 大学院の頃から、本当にちょっとなんですけど、1週間に1回、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に受けるような市民講座に行って、ベトナム語を勉強してました。だから、それに行ってベトナム語を知っていたので、ベトナムは自分にとって馴染みがあったのかもしれません。

瀬尾ゆ 結構いろいろ将来のために準備をしておくというか、伏線を張っていらっしゃるんですね。

小西 そうですね。伏線を張っておかないと、それこそ大学1年生のときの話じゃないですけど、「食っていけない」と思っているので。

瀬尾ま ハイフォンのお仕事も、やっぱり戦略的にこれまでよりもできることを増やすっていう狙いもあったんでしょうか。

小西 そうですね。日本で教師養成に携わったこともあって、先生たちを育てたいなっていう思いも強くなっていまして、ハイフォンの仕事ではそれもできるんだと。プラス、学科作りも手伝えるというのが大きかったです。単に授業を教えるだけではないっていうことが大きかった。

ハイフォン日本語教師養成コース修了式

瀬尾ま 今の名古屋大学日本法教育研究センター(ベトナム)でのお仕事(※2019年4月時点)はコーディネート職で、教えること以外の仕事もたくさんあるようですね。

小西 そうですね。授業も持っていますが、事務管理的なことを50%ぐらいのウェイトでやってくれと言われています。例えば、名古屋大学から書類作成の依頼が頻繁に来ますし、現地の法科大学とのやりとりでレターを書いたり、現地の法律事務所や日本語教育関係機関との話し合いなんかがあって、事務的な仕事が結構ありますね。あと、経理関係もやります。なんせ、全部やります。

瀬尾ゆ それまで経理をやった経験は?

小西 やったことなかったですよ! だからものすごくきつかったです。

「自分で考えられるようにならなければ、教師は成長しない」
―日本語プログラムのコーディネートと教師会の運営

瀬尾ま この間ベトナムを訪問させていただいたときに、学生を地域のコミュニティとつなげる活動をされているとうかがったんですが。

小西 そうですね。本当に簡単なことからなんですけど、毎日入れ替わり立ち替わりで、現地に住む日本人に来てもらって学生と交流をしてもらっています。基本的にはおしゃべりをして、こういう日本人がいるんだとか、日本語の考え方ってこうなんだとか、なんとなくでもいいので学生に感じてもらうという活動をしています。3年生以上になると、法律面で将来の職に生かすために、現地の日系法律事務所の人に授業をやっていただいたり、インターンシップの話をしていただいたりしています。段階的に、日本人像・日本像から日本の法学像を学生たちが作っていけるようにデザインしています。ただ、これも結構難しいです。

瀬尾ゆ 難しいですか。

小西 ボランティアの方には無報酬で来てもらっているので、どうしてこういう人たちが大学に来てボランティアをしているのかっていうことをちゃんと考えないといけないと思っています。そして、継続してできる仕組みや環境づくりをしないといけないと意識しています。

瀬尾ま この活動について、日本語教育学会の2019年度春季大会でも発表されますね。

小西 はい、今話したことに関係する話をします。

瀬尾ゆ 学会発表は結構されているんですか。

小西 それが、名古屋大学日本法教育研究センター(ベトナム)に入って1、2年目は要領悪いということもあるのですが、何もできないぐらい忙しくて、3年目は大学の大きなイベントで1年つぶれちゃったので、今年4年目に入って、今までやってきたことをちょっとみんなに知ってもらって、「こういうことをベトナムでやったらいいんじゃないか」と提案をしてみたりして、動いています。

瀬尾ゆ 教師会も運営されているんですよね。

小西 はい。ハイフォンにいた頃も日本語教師の集まりやコミュニティは絶対に必要だと思って、作ろうとしていたんですけど、なかなか一緒にやる人もいなくてできませんでした。でも、ハノイに来てから2年が過ぎる頃に、一緒にやろうっていう人が出てきて、ハノイ日本語教育研究会を作ることにしたんです。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

小西 作ったことによって、ハノイでどのような日本語教育が行われているのかという現状がわかってきました。

瀬尾ま どうして教師会が必要だと思われたんですか。

小西 やっぱりつながりが大事だなと思って。日本語教師は、いろんな情報を得ないといけないし、発信もしていかないといけない。そのためには一人で孤立しているのではなく、みんなで話しあったり、教育についてちゃんと取り組める団体が必要なんじゃないかなと思って。

ハノイ日本語教育研究会。ハイフォンとZOOM接続し合同で行った

瀬尾ま 教師会の運営やコーディネーターとして先生方を指導するなかで気をつけていることはありますか。

小西 教員養成をやってみて、「こういう教え方がいいですよ」とか、「こういう方法でやりましょう」と言うのは、あまり効果がないなと思ったんですよね。例えば、模擬授業をしてもらって、「こういう方法があるんですよ」って提示しても、その先生の教え方はよくならないですし、たとえよくなったとしても、それはコピーなんですよね。それだと自律した教師を育てられないなと、教師養成をやっているときに感じるようになって。で、今、どうしているかというと、「こうやってください」とか、「この教科書でやりましょう」とか、「このやり方で行きましょう」とは絶対に私から先生方に言わないです。それよりも、意見をもらうっていうことをよくやっています。私としては私なりの考えを持っていても、「私はこの教科書でこういうふうに教えてるんだけどどう思う?」っていう風に聞いて、相手の方の意見をもらうなかで、その方が「自分の授業でもそうできるんじゃないかな」と自分で考えるようにしてあげることを意識していますね。
これって海外で日本語教師養成をやるときにはものすごく必要だと思っているんですが、海外で行われる教師養成のなかには、「この教案をこのままやってね」っていう形でやってる場合もあるんです。どうしてそうするのか1回聞いたことがあるんですけれども、「現地の先生は日本語のレベルも低くて、そこまで考えられないから、こっちから教案を渡したほうが最低限の授業ができる」と答えるわけですよ。もちろん全部の教師養成がそうだとは思わないですが、そういうやり方は相手を見下しているようにも感じますね。

瀬尾ま 本当にそうですね。

小西 ただ、教師養成に参加する側も「教え方を教えてもらえるんでしょ?」とか、「実際にすぐに役立つ方法を知りたい」とか思っちゃってる場合もあるんですよ。でも、それを解き放って自分で考えられるようにならなければ、教師は成長しないんじゃないかな。

瀬尾ま 教師会でも、一つの正しい方法を紹介するよりは、自分のいいところを自分で伸ばすことをモットーに運営されているんですか。

小西 運営委員会のメンバーも賛同してくれているので、今のところ、そのような方針で進めることができていますね。

「ほかの人に何を言われても自分を貫きとおす
―小西さんからのメッセージ

瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージはありますか。

小西 私、本当は迷っちゃうタイプなんです。でも、だからこそ、日本語教師になろうと思ったときに他のことはしませんでした。例えば、就職活動もしてないです。なんでかというと、企業の会社訪問や面接に行ったりすると、たぶん迷っちゃうから。だから、他の道を全部消して日本語教師でしか食っていけないように自分を追い込んだんです。

瀬尾ゆ 道がいろいろあったら、迷っちゃうから。

小西 そうなんですよ。要らない道、無駄な道は消していったほうが、より太い道ができるんではないかなと思います。実際「日本語教師では食っていけない」って言われたけれど、今食っていけるようになりましたからね。そして、他の人に何を言われても自分を貫きとおすことが大事なんじゃないかなと思いますね。

インタビューを終えて

瀬尾ま 「自分で考えられるようにならなければ、教師は成長しない」。私もまさに同じことを考えていたので、とても共感しました。そこに至ったのは、小西さんご自身も常日頃から考えながら実践をされてきたからではないかと思います。小西さんもおっしゃっていましたが、考えられるようになるための教師教育や日々の実践が大切だと思います。

瀬尾ゆ 小西さんは大学時代から日本語教育一本でやってこられました。日本語教師は他の職業を経てからなる人も多く、いろいろな経験が生かせる職業ではありますが、同時に、小西さんのように日本語教師として戦略的にキャリアを築き、他の職業経験がなくても「食える」日本語教師になることも不可能ではないということだと思います。もちろん、「食える」道を増やしていくことは日本語教育全体の課題ですが……。

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