
日本語教師の履歴書 vol.25 堀 佳月さん
vol.25 「多文化・多言語の視点を持って子どもを見つめる、仕組みを変えていくためにアクションを起こす」堀 佳月さん
今回は茨城大学教育学部を卒業後、千葉大学教職大学院を経て中学校の英語教員になり、特定非営利(NPO)法人CINGA(国際活動市民中心)でサブコーディネータをされている堀佳月さんです(2025年4月時点)。
《今回の「日本語教師」》堀 佳月さん(ほり・かづき)さん
国内の国際化、多文化共生に関心をもち、茨城大学在学中にカナダのトロントに留学。移民国家としての歴史や現地の多文化政策と教育実践についてフィールドワーク調査を行う。帰国後は千葉大学教職大学院でJSL生徒のキャリア教育支援の実践研修に従事。公立中学校教員を経て、2024年より現職。(2025年4月時点)
「一人の教員として、多様な背景を持つ子ども達についてもっと知るべきなんじゃないか」―多様性教育をテーマにカナダに留学する
瀬尾ま 茨城大学では何を勉強されていたんですか。
堀 教育学部で英語の先生になる勉強をしていました。小中高と、自分が学校の先生にすごくお世話になったというのもありましたし、誰かをサポートできる大人になりたいと思い、大学の進学先として教育学部を選びました。
瀬尾ま 大学時代にカナダに長期留学されていましたが、もともと留学に興味があったんですか。
堀 実は、高校生の時は留学は全然考えていませんでした。伯父の家族がカナダに住んでいるのですが、大学1年生の時に親に「英語の先生になりたいんだったら英語を実際に話してこい」と言われ、それまで一度も会ったことのなかったカナダで暮らすいとこに会いに行きました。その時、私は衝撃的なほど英語が喋れず……。いとこはずっといろいろと話しかけてくれたのですが、会話が聞き取れない上に自分の思っていることも伝えられず、ただただ悔しい2週間を過ごしました。それで、受験勉強の英語じゃなくて、ちゃんと喋れるようにならないと英語の先生になれないと思ったのが、英語の勉強や、その後も海外に行くきっかけとなりました。
それから、3年生の時に、ゼミの先生が「カナダの大学に学生を派遣するプログラムをやろうと思っているんだけど、興味ない?」と聞いてくれたんです。カナダの大学で3週間、英語教育(TESOL)について学び、アカデミックな英語の世界に触れたのがとても楽しく、帰りの飛行機でもっと長く行きたい、長期で海外に行きたいと思うようになっていました。
瀬尾ま たしか、茨城大学の協定校への交換留学プログラムじゃなくて、大学を休学して自分で留学先を探して行かれていましたね。
堀 そうなんです。当時、茨城大学の交換留学プログラムは教育学部生が行けるものがなかなかなくて、自分で探して、「トビタテ! 留学JAPAN」に応募しました。
瀬尾ま そうでしたね。トビタテで行かれていましたね!
堀 でも、実を言うとトビタテには2回落ちて、3回目で受かったんです。
瀬尾ゆ そうなんですか。
堀 選考には2回落ちたけれど、どちらにせよ留学はしようと思っていたので、瀬尾匡輝先生が担当されていた留学生と日本人学生との国際共修の授業を受講しました。その授業でドキュメンタリー映画『ハーフ』を見たのが転機でした。日本は多様化していて、「ハーフ」として生まれる子どもも多いことが取り上げられていました。実は、私自身も中国と日本のいわゆるハーフなのですが、それをあまり人に言わずに生きてきたところがありました。私の生い立ちと映画『ハーフ』のテーマに共感することも多く、「英語の教員」としてではなく、「一人の教員」として、日本でも増えつつある多様な背景を持つ子ども達について、もっと知るべきではないかと考えるようになりました。そこから多民族国家であるカナダで多様性教育をテーマに留学したいという目的が明確になり、トビタテの留学に採用されたんです。
瀬尾ま カナダはどこに行かれたんですか。
堀 トロントのヨーク大学です。ヨーク大学の教育学部生でなければ教育学部の授業は取れなかったのですが、先生に直接交渉し、聴講生のような形で授業を受けさせてもらいました。他にもリベラルアーツの授業も受けながら、1年半留学しました。
瀬尾ま 1年半も行ってたんですね。
堀 最初はTOEFLのスコアが足りなかったので、ヨーク大学付属の語学学校でアカデミックライティングなど、大学の授業を理解するのに必要な勉強を6か月しました。その間にトビタテに採択されて、さらに8か月間ヨーク大学で勉強しました。語学学校は完全に自費で行っていたので、トビタテに落ちたら日本に帰る予定でいました。

瀬尾ま 留学してみて、どうでしたか。
堀 カナダは人口の構成が日本とまったく違っていて、肌の色や宗教、街全体でダイバーシティを感じる環境がありました。その中で行われるカナダの公教育は、カナダの歴史や文化を継承してできたものだと感じました。そして、これから教員になろうとする現地の学生や先生達は、教育現場でのダイバーシティやエクイティ、インクルージョンの考え方に非常に意識的で、自分達がいかにアンコンシャスバイアスに気づけるかという意識を強く持っていました。国の方針やカリキュラムにも書かれたことでもあるのですが、私達日本に住む人がこの感覚に追いつくには、あと何年必要なんだろうと愕然としました。
瀬尾ゆ 留学中、実際に現地の学校を見学したんですね。
堀 はい。大学で授業を受けるほかに、現地の幼稚園や小学校に行かせていただきました。学級掲示や教室の環境作りでも多様性にものすごくこだわっていて、誰も排除されないインクルーシブな空間にするために、「パワーツリー」という、色の違う紙を手の形に切り、それを貼って木に見立て、「私達はみんな違うけど一つの木なんだ」というメッセージを伝える掲示が教室にあったりしました。それに、「ブラックヒストリーマンス」という、アフリカ系ルーツのカナダ人について知る月間や、中国の文化を祝う時期とか。異なる文化が集まること、「多様性は強みである」というメッセージが、当時のジャスティン・トルドー首相もSNSでも定期的に発信されていて、さらに街や学校でも先生と子ども達がいっしょに文化をお祝いしている姿を見て、これはすごいなと思うことばかりでした。
瀬尾ゆ カナダ留学中も、将来は学校の先生になろうと思われていたんですか。
堀 留学に行く時は先生になることを目指していたのですが、留学中に大学の同期が教員1年目になっていました。そして、5月ぐらいに「先生になるのはやめておいたら」というLINEが来て驚いたことを覚えています。人手不足や業務の多さに耐えられないみたいでした。同級生はみんな教育に対する視座が高くて、教育実習も一生けん命でした。情熱も強かったのに、そんな仲間から「教員になることを薦められない」「現場は厳しい」というメッセージが送られてきて、ショックだったんです。それで、自分はどうしようと考え、帰国後もう少しいろんなことを考えたり見つめなおしたりしたいと思うところもあり、教職大学院に入りました。
「外国につながりのある子ども達特有の課題について知る研修の機会があると良い」―教職大学院での学び
瀬尾ま 千葉大学に進学された理由は何だったんですか。
堀 二つ理由があり、一つは先生になるなら地元でなりたいということです。私は千葉出身なので、千葉に帰って先生になりたいという思いがありました。もう一つは指導教員です。多様性の教育について教室から考えていきたいと思ったときに、千葉大学に土田雄一先生という方がいらっしゃいました。その先生は小学校の校長先生を務められた実務家の大学教員で、「千葉大学がある千葉市でも外国につながる子ども達がものすごく増えている。興味があるんだったら、実習を通して研究できますよ」と紹介してくださいました。海外の教室を見たあとで、日本でももっと現場が見たい気持ちがあったので、千葉大学に進学することにしました。
瀬尾ま 大学院での勉強はどうでしたか。
堀 千葉県にも現職の先生が1年間現場を離れて大学院に勉強に来る『長期研修生派遣』という制度があり、私のように学部からストレートに大学院に上がってくる院生と長期研修生が「同級生」として在籍していました。長期研修生の先生方がメンターになってくれながら、実習のふりかえりをしたり、研究の進捗状況を共有してくれたりして、その関係がすごく助かりました。実習では週に2回しか中学校に行かないので、「あれってどういうことなんだろう」とわからなかったことをメンターになった現職の先生方に聞いて解説してもらっていました。現職の先生は1年のみの派遣なので、2年目にはまた別の現職の先生がメンターとなってくださり、1年目とはまた違った視点がもらえるというのは本当によかったです。
瀬尾ゆ 実習に行かれた学校は、やっぱり海外につながりのある子ども達がたくさんいたんですか。
堀 はい。全校生徒の約3割が外国につながる生徒の学校で実習をしました。そのうちの1割が日本語指導を必要としていて、取り出しで日本語指導の学習を行っていました。実習では、1週間ごとに違う学年に入らせてもらったり、特別な支援が必要な子どもの側についてサポートをしたりなど、いろんな役割を経験させてもらいました。
瀬尾ゆ 日本の学校に行ってみて、感じられたことはありますか。
堀 教員は現場で本当にジェネラリストであることを求められていると感じました。授業、部活動、学級経営、行事経営など、いろいろな実践知や専門性が求められています。
そのなかで、外国につながりのある子ども達特有の課題について知る、研修の機会があると良いと思いました。母語が日本語でないゆえに困っていることがある。学習に参加できないのは「やる気がないだけ」ではなく、日本語を覚えている過程で、生徒自身も言葉にできないもどかしさを抱えながら生活していることを、体系的に理解する研修があれば、より組織的に支援に取り組めるのではという課題を感じました。
瀬尾ま たしかに、そんな研修があれば良さそうですね。
堀 2年間の実習のあいだに、校長先生をはじめ、ミドルリーダーの先生方も地域性や生徒の実態を踏まえ、学校の教育目標の柱の一つに「日本語指導の充実」を加える動きが進み、生徒を支援する体制づくりへの具体的な行動を進められていました。忙しい業務のなかで新しい教育課題を捉えていくことは容易ではないけれど、学校でリーダー達が気付いて変えていく様子を間近で見られたことは貴重な経験でした。
「誰かが変えないと、本当にまずい」―3年間の教員経験
瀬尾ま 大学院修了後は千葉県で英語の先生になられたんですか。
堀 はい、千葉市の中学校に採用していただいて、中学1年生の担任からスタートしました。
瀬尾ま お仕事はどうでしたか。
堀 自分のキャパが100なのに対し、仕事量が1000ぐらいあった感覚です。本当はそんなにないとは思うのですが、自分のなかではキャパオーバーの状態で……。外国につながる子ども達の支援をしたいと思っていたのとは裏腹に、一教員として求められる業務はそういった子ども達の支援だけではないですよね。部活動の指導や学校行事の企画運営をしたり、そういうことが求められる。担当する英語の授業でも生徒達を継続的に惹きつける授業を目指したかったですし、学級経営でも学ぶことがたくさんありました。支援をしたいけど、最初にやらなければいけないのは支援ではないので、いざ自分が担任になるとそのギャップに戸惑いつつ、でも先生としてまず一人前にならないといけないという思いで必死でした。
瀬尾ま 赴任された学校には外国にルーツを持つ子ども達がいたんですか。
堀 日本語指導が必要な子どもが少ない学校でした。もちろん最初から日本語指導の担当になれるわけではないので、とにかく担任としてがんばりました。でも、3年目には校内の国際理解担当の分掌をいただいて、その1年間は日本語指導と国際理解教育の担当として少し関わる機会が増えました。
瀬尾ま 3年目でいろいろな活動ができたんですか。
堀 そうしたかったのですが、実際には全然自分の思っていたところまではいかなくて……。千葉市には母語支援員の制度があり、支援員が週に1回学校に来て日本語の指導を担当してくださっていました。
授業を見にいきたいとあれだけ思っていましたが、自分の英語の授業と重なっていたり、タイミングが合わないことも多く、その日支援員さんと学習した内容や様子を直接見たりできない時間だけが過ぎていくもどかしさがありました。また、その頃は3年生の担任として、進路指導に精いっぱいでした。担任や教科担当として求められる役割が第一としたとき、日本語指導や国際理解に力を注ぐことが当時の自分には難しかったです。大学院の実習の時には気が付けなかった日々の余裕のなさ、視野がせまくなるような感覚ももどかしかったです。
瀬尾ゆ なるほど……。
瀬尾ま 3年で辞めたのは、教員として働き続けるのが難しいという感じだったんですか。
堀 子ども達との時間は間違いなく充実していました。担任として、また3年間かけて、子ども達の人生に関われたのはかけがえのない経験でした。一方でこの先を考えたときに、やっぱり自分がずっと興味のあった「多文化共生」の分野で、もっと経験や知識をつけて、仕組みを変えていくためのアクションを起こすこともやってみたいと思っていました。そのために何かできないかと考えたときに、教員ではない、別のところからアプローチをしていこうという考えも少しずつ出てきました。
瀬尾ゆ 多文化共生について、それほどまでに自分事として捉えられているのは何かきっかけがあったのでしょうか。
堀 やっぱり大学生の時に見た映画『ハーフ』が大きいと思います。授業では映画を見てクラスメートとディスカッションをしました。当時中国から来ていた留学生に「私も実はハーフなんだけど、今までそういうの言えなかったんだよね」、と伝えたら、その人は「そういうアイデンティティって、きっとギフトだと思う」って言ってくれて……。その時、ピシャンと雷に打たれたような感覚になりました。ずっとマイナスな感情を持って生きてきたなかで、肯定してもらえた言葉でした。多様な背景が「ある」というプラスの多文化・多言語の視点で自分を見てくれる人がいるということが、ものすごくエンパワーメントになるんだなと肌で感じて……。だからこそ、日本語が話せない子達が、本当は母語では能力を発揮できることが多いにもかかわらず、「どうせできない」と見られてしまう状況から、「2言語を話せる」、「2文化を知っている」という強みに視点が向くよう転換されてほしいと感じるのだと思います。でも、いま現在それを捉えきれない現実があるのは、先生が悪いのではなくて、忙しすぎる状態や仕組みが先生方の考える機会を失わせているんじゃないかということが、教員をしていると見えてきました。誰かが変えないと本当にまずいなという気持ちがあって、CINGAで働こうと思いました。
「教育から見る多文化共生と、行政から見る多文化共生って全然違うんだな」―CINGAで働き始める
(※記事の内容は2025年4月時点のものです。)
瀬尾ま どういうふうにしてCINGAに入られたんですか。
堀 正直に言うと3月に教員を退職する時は、次の就職先がまだ決まっていませんでした。やりたいことはありましたが、どこに行ったらいいのかすごく迷っている時期でした。そんな時に、CINGAで活動されている新居みどりさんが登壇されているシンポジウムの動画をたまたま見つけました。問題を本質的に捉えて、現場が支えきれずに困っている人達の声を理解されてお話しされていることに感激しました。メールをしたところ、事務所に呼んでいただいて、いろいろなお話をしました。それで、「教員の経験しかないので大変だとは思うけれども、うちで勉強してみたら。」と言ってくださって、2024年5月から働かせていただいています。
瀬尾ゆ CINGAでは、どんなことをされているんですか。
堀 サブコーディネータという役職で、CINGAの自主事業や受託事業のプロジェクトに関わらせてもらいながら活動をしています。CINGAは専門家集団と言われていて、弁護士や行政書士など、外国人を前線でサポートしている方々の集まりなんです。私はそういった専門家の皆さんが働きやすいように相談会に必要な準備をしたり、各プロジェクトでさまざまな調整業務をしています。それから、行政職・自治体の皆さんと一緒に講座を開講することになったときは、講師のアレンジをしたりするコーディネート業務も行っています。
瀬尾ゆ 教員の仕事とはかなり違いますね。
堀 はい。CINGAに来て自分が日本語教育領域や外国人支援について、どれだけ無知だったかを思い知りました。教育から見るのと、行政から見るのとでは、対象が全然違うことを知りました。教員の視点で見ると「学校の日本語指導」に集約されていくのですが、外国人支援を行政や自治体の方から見ると、「在留資格」ということばがものすごく出てきました。私、「技人国」ということばすら聞いたことがなかったのですが、技人国、つまり技術・人文知識・国際業務の在留資格で来日しているのか、家族滞在の在留資格で来日しているのかによって就労時間の制限が変わってくることを知りました。CINGAで6か月働いて、このような在留資格のことも勉強しているのですが、そういった視点を得て、また外国につながる子どもの教育について考えると視野が広がりすごくおもしろい。必要な視点に今まで気づいていなかったんだなって感じています。
瀬尾ゆ 教育を考えていくうえで必要な視点というのは、どういう視点なんですか。
堀 特に高校の進路指導では在留資格がすごく重要なのに、全然知らなかったことでした。家族滞在の在留資格で日本にいる場合、たとえば、高校を卒業してすぐ就職したいと言ってもそのままでは週に28時間までしか働けないので、在留資格を変えないといけないんです。その見通しを持たないまま「この会社に就職しよう」と決まっても、いざ4月になって「働けません」ってなってしまうんです。こういうことって学校の先生も知っておかないと、後々トラブルになってしまうんだと思います。
また、東京都では長年、中学生向けに多言語による進路ガイダンスを実施し、資料冊子を作成したり、入管庁職員も来て相談に乗っているのも見に行かせてもらいました。教員をしていたときは在留資格が大事だと大きな話題になったことはなかったので、もう目から鱗というか……。
瀬尾ゆ 確かに学校の先生も新しいことを学ぶ時間がなかったら、わからないですもんね。
堀 そうですね。でも、改めて思うのは、これは、学校の先生が自分達だけでやるべきことなのかということです。外部で助けてくれる団体や専門性のある団体をちゃんと教員が知って繋がり、頼れる協力先の情報を持っておくことが大事なのかなと思います。さまざまな支援を学校だけでやろうとしても、教員は本当につぶれてしまうと思うので……。
瀬尾ま 確かに何でも先生任せにすると、先生はもっと大変になっていきますよね。CINGAのサポートは、日本全国で行われているんですか。
堀 そうですね。対象の地域についての決まりはなく、全国の国際交流協会や外国人支援窓口とのネットワークを持っています。コロナ禍の前に全国の相談窓口と顔をつなぐキャラバンを行ったそうです。その地域の方から相談があったときときは、地域で伴走してくれる支援者につないだりしています。
瀬尾ゆ 堀さんはしばらくCINGAで働き続ける予定ですか。
堀 はい。初めて知るサービスや自分が知らなかったことがたくさんあって、何年かかるかわからないですけれども、こういう情報をちゃんと得て、ゆくゆくは自分が生まれ育った千葉で困っている人達に還元したいなと漠然と思っています。
「日本語指導が必要な子ども達は確実に全国的に増えている」―堀さんからのメッセージ
瀬尾ま 最後に、これから教員になりたい人達に向けてメッセージはありますか。
堀 教育学部で日本語教育について学ぼうとしてる人がいたら、それは今後の学校現場ですごく重宝されると思います。各地域や学校現場では、日本語指導が必要な子ども達は確実に増えています。私自身もそうでしたが、学校や同僚となる先輩達もまだ手探りの状態で、わからない部分もたくさんあると思います。そんな時に、「こんな情報を知っている」と情報提供をしたり、日本語を習得過程にある子ども達に対して優しいまなざしを向けられたりする人は活躍できると思いますので、ぜひがんばって勉強してください。
================================
インタビューを終えて
瀬尾ま 教員としての経験を通して、多文化・多言語の視点の必要性を実感し、それを制度や仕組みの側から支えるためにCINGAでの活動へとつなげていく姿勢がとても印象的でした。その時々で感じた違和感や気づきを丁寧に受け止め、次のキャリアの選択へとつなげてこられた堀さんの姿勢は、教育に関わる多くの人にとって大きな示唆を与えてくれるように思います。子どもたちの可能性を信じ、教育と社会の接点を広げていこうとする堀さんの取り組みに、力強い希望を感じました。
瀬尾ゆ 子ども達の多様な背景をポジティブに捉える視点の大切さとともに、個々の教員がそのような視点を持った教育を行うには、それを支えるマクロな制度や仕組みも両方が必要なのだと思います。前回の浅倉さんに続き、教育の外側から教育を支えるという関わり方を示していただけました。
