vol.23 「居場所としての日本語、理解は後からついてくる、性の多様性を踏まえた日本語教育を」有森 丈太郎さん
今回は、カナダ・トロント大学東アジア学科にお勤めの有森丈太郎さんにお話をうかがいました。
《今回の「日本語教師」》有森丈太郎(ありもり・じょうたろう)さん 日本語教師を目指して愛知県立大学に社会人入学をし、副専攻の日本語教員課程を履修。その後、トロント大学の修士課程で日本語学を学ぶ。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校客員講師を経て、2007年よりトロント大学に勤務。東アジア学科准教授(ティーチングストリーム)。2021年にInternational Network of Gender, Sexuality in Japanese Language Education (INGS-J) を共同で立ち上げ、性の多様性の観点からインクルーシブな日本語教育に向けての発信を行っている。
「こういう場所が身近にあったんだ」―日本語教育への方向転換
瀬尾ま 日本語教師になろうと思ったきっかけを教えていただけますか。
有森 大学を卒業して名古屋で会社員をしていたんですけど、海外で映画製作の勉強がしたくて、3年で会社を辞めました。まずは英語の勉強のためにカナダの語学学校に通ったんですが、もう少しお金が貯めたくて、1年後に名古屋に戻って派遣で働いていたんです。ある日、友達に「知り合いが週末にボランティアで日本語教室をやっているから遊びに来ないか」と誘われて、岐阜の公民館でやってる日本語教室に行ったんです。そこには工場で働いている南米出身の方々がいて、英語も通じないし、日本語も片言で簡単な単語をつなげて話せるぐらいでした。日葡辞書を使いながら何とかやり取りをしたんですが、その経験がとても新鮮でした。で、帰り際に参加者の1人が「いい先生です」って言ってくれたんですよ。その時に初めて日本語を教える仕事もおもしろそうだなと思って、近くで日本語教育について学べるところを探してみたんです。そして、愛知県立大学の社会人入試で入りました。
瀬尾ま 420時間の養成講座ではなく、なぜもう一度大学に入ることにしたんですか。
有森 420時間の講座に問い合わせたら「今日が締め切りですが、明日までなら待てますよ」って言われたんですけど、とても準備できないし、出願までに時間のあったのが県立大学でした。
瀬尾ゆ 映画製作を勉強しようとしていたところから、パッと方向性を変えられたんですか。
有森 当時、名古屋の英語劇団に入って裏方をやっていたんですけど、それで映画製作の欲は満たされていたみたいで(笑)。それで、日本語教育のほうがおもしろいかもと思ったんですよね。英語劇団のメンバーにはJETプログラムで日本に来てたり、大学で英語を教えてたりする欧米人が多かったんですが、岐阜の日本語教室で出会った人たちは今まで接していた外国人とは背景がぜんぜん違っていて、結構衝撃がありました。
瀬尾ゆ 愛知県立大学では日本語教育を専攻されたんですよね。
有森 日本語教員課程は副専攻しかなかったので英文学が主専攻でしたが、目的は副専攻でした。今はもうないんですけど、夜間部に入って。夜間部でも昼間に開講される授業が取れたので、朝9時から夜9時までいろんな授業を取って、2年で卒業しました。映画製作を勉強するためのお金は、結局それに全部使ってしまいました。
瀬尾ま 大学での勉強はどうでしたか。
有森 初めて日本語学を勉強して、自分が当たり前に話している言語にこんなルールがあったのかとか、そういう発見がとにかくおもしろかったです。教育実習もあったんですが、他の大学の留学生の家族向けのクラスと、保見団地っていう、ブラジル人を中心とした外国人の集住地域のボランティア教室で実習をやりました。こういう場所が身近にあったんだって、自分の知らなかった世界に接して、とにかく好奇心を持ってやりましたね。
それに、主専攻の英文学もすごくおもしろくて。マイノリティ文学のゼミで、黒人や性的マイノリティの文学とかを学んでいました。結果的にそれも将来の学びや仕事につながったんですが、その時は結びつけて考えることはありませんでした。
「大学院を考えないのも先生に悪いかな」―受身的な大学院進学
瀬尾ま 卒業後はどうされたんですか。
有森 大学にいる間に青年海外協力隊に応募して派遣先も決まっていたんですが、同じ頃にトロント大学の大学院への進学の話も決まったので、後者を選びました。もともと大学院は全く考えていなかったんですが、大学の先生に「日本語教師として食べていきたいんだったら、大学の専任になったほうがいい」みたいなことを言われて。そのために大学院に行く必要があったわけですが、たぶん僕が男だから、将来設計に家族を養うっていうのがあるだろうって考えてくださったんだと思います。はじめは「はぁ……」みたいな感じで話を聞いていたんですけど、先生が学会でイギリスに行かれて、「こんなのもあるよ」ってイギリスから大学院のパンフレットを持って帰ってきてくださったんですね。先生がそこまでしてくれるのに考えないのも悪いかなみたいな、受身的な動機だったんですが、日本語教育が学べる大学院を調べはじめました。たまたま日本語教員課程の別の先生がトロント大学の日本語の先生とお知り合いで、そんな縁もあってトロント大学に出願しました。
瀬尾ゆ 青年海外協力隊に行くのはやめたんですか。
有森 本当は僕の中で青年海外協力隊が占める割合はすごく大きかったんです。大学院は一応受けようかなという程度だったので、一校しか受けなかったんですよ。でも、両方とも受かって、「どっちに進むか迷ってる」ってトロント大学で指導教官になる先生に伝えたら、「じゃ、協力隊の道でがんばってください」みたいな返事が返ってきたんです。そう言われると、あれ、なんかこれは大きなチャンスを逃しそうになってるんじゃないのかな? って気がしはじめて、大学院を終えてから協力隊に行くのもありかなと、進学を選びました。大学院に入ったら、修士号を取得した後は北米の大学に就職するという前提の指導がされていたんです。それで、そんな道もあるんだっていう感じで、なんとなくそっちを目指す流れになりました。
瀬尾ま 最初は北米で働きたいっていう気持ちは特になかったんですか。
有森 なかったですね。なんで留学したかというと、県立大学の先生に「日本語教師になれなくても、留学したら英語を使う仕事が見つかるかもしれない」と言われて、それもそうだなと思ったからでした。
「他にもっと上手に教えられる人がいるはずなのに」―ため息をつく日々
瀬尾ゆ 大学院はどうでしたか。
有森 大学院でやりたいことが明確にあるわけではなかったんですが、日本語学や教育学の勉強をしたら、それはそれでおもしろいわけですよ。もっと勉強したいなという気持ちになって。でも、やっぱり英語はすごく苦労しましたね。日本語学は日本語のことを勉強するからまだわかるんですけど、教育学とか、リサーチで統計も入ってきたりすると、さっぱりわかんなくて。クラスメートが手伝ってくれたりして、何とかやれました。
瀬尾ま 大学院ではTA(ティーチング・アシスタント)もされていたんですか。
有森 日本語プログラムでもTAを探すのが大変だったみたいで、大学院に入ったときから2年間ずっとTAをさせてもらいました。TAと言いつつ、教案や教材を一から自分で作って教える形だったんですが、初めは一つの授業の準備に何日もかかったりしてましたね。
瀬尾ゆ クラスを教えるのは初めてだったんですか。
有森 大学の教育実習以外は初めてでした。だから、本当にへたくそで(笑)。文法の説明をして、「はい、じゃ、話してみてください」というような授業をして、指導してくれた先生に「そんなんじゃ誰も話せないよ」って言われたりして。
瀬尾ま 指導はしてもらえるんですね。
有森 そうですね。僕がTAをしていた先生は指導教官とは別の先生だったんですけれど、授業に毎回来てくれて、いろいろ指導してくださって。僕のとんでもないアイディアでも「やってみたら?」ってやらせてくれる方だったので、本当にありがたかったです。やった後のダメ出しはあったんですけど、やる前のダメ出しはなくて本当に寛容にやってもらって、すごく感謝しています。授業がうまくいかなくてへこんでいても、「ここはよかったよ」って無理やり褒めるところを探してくれて。大学院の勉強との両立はすごく大変だったんですけど、その先生がいたから続けられました。
瀬尾ま 大学院を修了されてからはどうされたんですか。
有森 アメリカの大学で2年間働いたんですが、ちょうどトロント大学で募集が出たので、応募して採用となりました。
瀬尾ゆ TAとして働くのとフルタイムの教員として働くのとでは、同じ職場でも違いましたか。
有森 そうですね。僕がTAをしていたときは小さいクラスを毎日教える形だったんですが、システムが変わっていたんです。レクチャーとチュートリアルに分かれて、レクチャーでは200人の学生を相手に講義をするんです。初めての経験だったので、どうやったらいいのか悩みましたね。そんなこともあって、トロント大学にフルタイムで戻ってからは、自分は日本語教師に向いているのかなって葛藤しました。
瀬尾ま 葛藤ですか。
有森 ずっと日本語を教えてらっしゃる先生はテクニックもアイディアもあるし、引き出しをたくさん持ってらっしゃるけど、自分はそういうのがなくて、同じ引き出しを何度も開けている感じがして……。他にもっと上手に教えられる人がいるはずなのに、自分なんかがフルタイムをやっていていいんだろうか? みたいな罪悪感がありました。
そういうふうに、ため息をつきながら日々過ごしていたんですが、ある日授業がうまくいかなかったことがあったんです。とぼとぼオフィスへ帰っていたら、普段すかしている学生がおちゃらけた感じで話しかけてきて。自分では最低の授業をした気分だったので、そんな教師になんでこの学生は気さくに話しかけてくるのかなって考えたんですよ。その後、今度は授業を見学していたTAとばったり会ったんですけど、「今日の授業を見て、丈太郎さんって日本語教師にすごく向いているなって思いました」って言われて。自分が一番へこんだ日に2人からポジティブなことを言われて驚きました。それからだんだんと自分の評価と他の人の評価って別なのかなって、前向きな気持ちで仕事に向き合えるようになりました。
「違和感あったけど、それに対して何もしてこなかった」―性の多様性と日本語教育に向き合うようになる
瀬尾ま 今、有森さんは性の多様性の視点から日本語教育を考えたり、社会的なところに興味関心がおありですが、どのようにして興味を持つようになられたんですか。
有森 今思えばですけど、瀬尾さんたちとやってた「つながろうねっト」で、日本語教育の多様性を知ったというのがあると思うんですよね。大学院の頃は日本語学とか教えるテクニックとかに自分の意識が向いていて、教師になってからも、文法をいかにうまく説明できるかが大切だって思っていたんです。でも、つながろうねっトでは、「文法が大事」って言っている人っていなかったじゃないですか。メンバーが「自分も昔は文法が大事って勘違いしてた」って言うのを聞いて、その時は「それの何が勘違い?」って思ったんですよね。あと、「『は』と『が』の使い分けとかってそんなに大事じゃない」って言ってる人もいて、僕は「え? そんなの大事に決まってんじゃん」って思ってました。学習者がちょっとした間違いをすることで、実力よりも低い評価を受けることってあると思うんですが、十分通じるからこれぐらいできればいいと、教師が勝手にハードルを低くすると、学生がそれ以上伸びなくなってしまうという思いがあって。文法を軽視するのは間違っているっていう考えが強かったです。
そのころを振り返ると、いろんな教育観や理念をよく理解せず、自分の知っている範囲や経験で否定してたと思うんですよね。昔は日本語が上手になることが学習者の目的だと信じていたのが、「居場所としての日本語」も大事だなって思うようになって。それはつながろうねっトのメンバーが言っていたことばだったんですけど、初めて聞いたときは全然ピンと来ませんでした。でも、自分の意識がちょっと変わって、学生と接してみると、居場所を求めてる学生がたくさんいるっていうことがわかってきたんです。たとえば、学生からもらった手紙に、家庭環境が悪くて家にいるのがとても嫌だったんだけれども、日本語の授業だけが嫌なことを忘れて楽しめる時間だったとか書いてあって。あ、みんなが言ってたのって、こういうことなんだなって後からわかったりして……。そういうことが自分の中で積み重なっていって、今も文法は大事って思ってますけれども、それが一番ではないっていうか、そういうふうに価値観っていうか、教育観が変わったと思いますね。
瀬尾ま あの頃はつながろうねっトのメンバーの多くが日本語教師になって数年で、それぞれが揺らいでる時期だったのかもしれないですね。
有森 はい、みなさんとの交流を通して自分も視野が広がっていきました。
有森 そんな時期に2013年の東京レインボープライドというのがあって、それが性の多様性と日本語教育について考えるきっかけになりました。その時サバティカルで日本にいて、初めて参加したんですが、そこで出会った人たちが社会学とか法学とか、自分たちの専門性を生かして性的マイノリティをめぐる問題を解決しようとしていたんです。そういう人達を目のあたりにしたときに、日本語教育でも何かできることがあるのかなと考えたんですね。そしたら、それまで違和感はあったけど、それに対して何もしてこなかったことが課題として見えてきて。
瀬尾ま どんな課題ですか。
有森 たとえば、ある授業を見学していたら、「男言葉」「女言葉」を取り上げるときに「男の人がその話し方をしたらこれ(=左の頬に右手の甲を近づけるしぐさ)って思われるからやめたほうがいいよ」みたいな発言があって、笑い声があがったんです。その時は、ええ? って思ったけど、思っただけで終わってたんです。でも、中にはその笑いが自分に向けられているように感じた学生がいたかもしれない。自分は日本語教育をやっていて、この仕事が好きだし、この分野でなにかできることをやってみようっていう感じで性の多様性と日本語教育というテーマに取り組むようになりました。
瀬尾ゆ 具体的にどんなことをやり始めたんですか。
有森 最初にこのテーマで話したのは、継承語を中心としたカナダの日系コミュニティの会でした。カナダで子育てをしている日本人の親を対象に講演してほしいという依頼があって、トランスジェンダーの子どもと言葉遣いについて話をしたんです。男の子として生まれたけど、自分は女の子だと感じている、そういった子どものことをちょうどNHKの番組で特集していたりして、そのビデオを見せつつ、ジェンダーは多様だから「あなたは男なんだからこうしなさい」とか、「女なんだからこうしなさい」っていうのがすごく苦痛な子どももいるし、実際の言語の使用でも「男言葉」「女言葉」とはっきりと分かれることもない、子育ての中で言語と向きあうときにそのことを頭に置いておく必要があるんじゃないか、みたいな話をしたんですよね。それから、少しずつ学会発表やワークショップをするようになって、大学の授業や研修会などに呼ばれるようになりました。
瀬尾ま 今は研究会も作られていますよね。
有森 あ、そうです。3年前にINGS-J(International Network of Gender Sexuality in Japanese Language Education)という会をメルボルン大学のクレア・マリィさんと立ち上げました。以前から顔見知りだったんですが、たまたまある講演会で再会したのをきっかけに、いっしょに何かをしようということになって。ほどなくしてRMIT大学の吉田真樹さんとプリンストン大学の渡邉慈美さんも加わって、年に数回、勉強会やワークショップなどを企画しています。
瀬尾ゆ その活動は教師や研究者が対象なんですか。
有森 そうですね。一般的な日本語教師養成課程ではこういった話題って取り上げられないじゃないですか。だから、教師を目指している人や現職の教員に向けた研修活動とか情報交換をしたいんです。性の多様性に対する社会的な認識も高まっていますし、学校教育の教科書でも取り上げられるようになりました。様々な背景をもった留学生の受け入れもありますし、日本語教育でももっと議論されるべきだと思うんですよ。でも、たとえば国家資格になった登録日本語教員の「養成段階に求められる『必須の教育内容』50項目」にはジェンダーやセクシュアリティに関する項目がないんです。学習者の多様性とかインクルーシブ教育とか、そういう観点も大事だと考えて活動をしています。
瀬尾ま 以前書かれた教科書『げんき』に関する論文もおもしろかったですね。
有森 僕たちは決して特定の教科書を批判したいわけではなくて、教科書や教材にはいろいろな問題があるから、教師が留意すべき点があるということが伝えたいんです。『げんき』を使っている教育機関は多いし、僕もいいなと思うところはたくさんあります。ただ、それをそのまま使っちゃうと、マージナライズ(周縁化)されたり、エクスクルード(排除)されたりする人はいて……。たとえば、男がたけしのお尻を触っているイラストを見て「たけしさんは痴漢に触られました」という文を作る練習問題があるんですが、僕も昔は自分の経験を交えて「僕も電車で痴漢に遭ったことがあるよ~(笑)」って軽いノリでやってたんです。でも、考えてみれば、この教科書に出てくる唯一の性的マイノリティと思しき人物が、痴漢として描かれているわけです。それって、性的マイノリティのイメージを悪くするし、そういうのが本当に嫌だったという学習者の話を聞いたこともありました。せっかく日本や日本語に興味があるのに教室で嫌な思いをしたり、勉強をやめちゃったりするのは事実としてあるから、何が問題になりうるのか、それに対して自分は何ができるのか、そういうことを考えられる教師が増えればいいなと思うし、考える機会を提供したいなと思っています。
瀬尾ゆ 過去に大学で勉強された英文学も今のジェンダー/セクシャリティの多様性とも関係はあるんですか。
有森 そうですね。僕が大学で勉強したのはマイノリティの文学だったんです。文学を通して人種やセクシャリティの多様性をある程度学んでいて、大学院でカナダに来たときに、多様性が前提にある社会だということを割とすんなり理解できたんです。でも、カナダの人でも全然マイノリティに関心のない人、気づかない人っているんですよ。トロントやバンクーバーってレズビアンやゲイのカップルがたくさんいるんですけど、バンクーバー出身のクラスメートが、同性カップルなんて見たことがないって言うんです。それで、「バンクーバーにもたくさんいるじゃん」って言ったら、「え、考えたことない」「わからなかった」って。それで、多様性に関心がなかったら、視界に入ってても見えないことがあるんだなと思いました。マイノリティの文学を勉強していたおかげで、ここに来て、性的マイノリティだけじゃなくて、いろんな多様性に気づける素地ができていたのかなと思いました。
瀬尾ま 目の前にあるけれども見えないことっていうのは、すごくありそうですね。
有森 僕、この間膝を痛めて階段とか降りるのがしんどかったんです。そうすると、バリアフリーじゃないことを実感するっていうか。目で見て「あそこ段差あるんだ」っていうのと、歩いてて「あ、ここでも痛いんだ」「そこでも痛いんだ」って実感するのって全然違ってて。すべてのことの当事者にはなれないけど、身近に感じると見えてくるものがあるって、改めて実感しました。
「とりあえずそこに身を置いてやってみると、いろいろな気づきがある」―有森さんからのメッセージ
瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージをお願いします。
有森 僕は目標を立てて進んできたパターンではないので、あんまり参考にならないんじゃないかなって心配ではあるんですが……。いろんな人がこれを読んでいると仮定すると、目の前のことを一生懸命やってたら、開けてくる道があるのかなと思います。何かの機会が巡ってきたら、とりあえずそこに身を置いてやってみるといろいろな気づきがあります。その時はわからなくても、後から、あれにはすごく意味があったんだとか、あの人はきっとこういうことを前提に話してたんだなってわかってくることがある。だから、今この場で結論づけなきゃいけないことかどうかを考えて、そうでなければ、しばらく自分の中で泳がせてみて、後で自分なりに理解すればいいんじゃないでしょうか。そういう姿勢でいるとたぶん学べることがいろいろあると思います。僕にとってのつながろうねっトのような場所をみなさんも見つけてください。
インタビューを終えて
瀬尾ま 最近読んだ文献で「Critical Friendship(批判的な友人関係)」(Farrell 2019)を持つことの重要性を論じるものがありました。Critical Friendshipとは、信頼できる他者と話したり、質問し合ったり、時には対立することを促すような形で他の教師との協力体制に入ることを意味することだそうです。当時私たちがやっていた「つながろうねっト」はそんな場所になっていたのかもしれないなと有森さんの話をうかがって再認識しました。
瀬尾ゆ 「そのときにわからなくても後で理解できるかもしれない」と有森さんはおっしゃっていました。理解できないことを無理に判断したり、なかったことにしてしまうのではなく、違和感として持ち続けていると、より熟した形で何かが生まれてくるのかもしれません。