vol.4  小山暁子さん


学習者のニーズに寄り添う、日本語教育の常識にとらわれない

今回はフリーランスで日本語を教えている小山暁子さんです。2019年3月8日、東京赤坂での日本語レッスンを終えられた後にインタビューさせていただきました。プライベートのレッスンでもよく使われているというザ・リッツ・カールトン東京のロビーラウンジで約2時間お話を伺いました。


《今回の「日本語教師」》小山暁子(こやま・あきこ)さん  フリーランス日本語教師。銀行員、喫茶店経営、秘書などを経て、日本語教師に。複数の学校勤務後、1987年にフリーランスとして独立。主に外国政府機関、日本企業、外資系企業と契約し、ビジネスパーソンを対象に入門レベルから超級レベルまでの日本語授業をマンツーマン、小規模クラスで行っている。2014年からは、東京都内の会場で月に1、2回日本語教師対象のセミナー『サタラボ』を主催し、開催は70回を超える。


「日本語教師になろうなんて大層なことは思ってなかった」
日本語教師養成講座からフリーランスへ。バブル崩壊を乗り越える。

瀬尾ま 日本語教師の道には、どのようにして進まれたんでしょうか。

小山 私はもともと2年ぐらい銀行員をしていたんですけれども、その仕事をやめて渋谷で喫茶店を開いたんですね。でも、喫茶店の仕事ってやってみると結構きつくて、何より、ずっと店の中にいて「かごの鳥」みたいな気持ちになっちゃって。営業職が好きだった自分には合わないと思っている時に、店のお客さまに海外物件を扱う不動産企業の社長がいたんです。その社長は、すぐ近くで英会話喫茶もやっていて、社長秘書、兼、英会話喫茶のマネージャーとしてスカウトされたんです。その英会話喫茶というのは、コーヒー1杯いくらじゃなくて1時間いくらという料金設定で、サロン風にテーブルとかソファとかが置いてあって、外国人のスタッフと会話やディスカッションを通して英語学習するところだったんです。ちょっと英語が話せて喫茶店の経営もできる私を見ていた社長に「うちに来ないか」って言われて、自分の店は妹にバトンタッチして転職したわけです。朝から4時頃までは秘書として働き、夕方から9時までは英会話喫茶のマネージャーとして店の運営やスタッフの管理をする毎日でした。

瀬尾ゆ もともと英語は得意だったんですか。

小山 私は東京都下の米軍基地近くの出身でアメリカ人などの外国人がいるのが当たり前という環境で育ちました。両親のどちらかが外国人だったり、日本人だけど基地内で働いていたりする友人もいました。そんなこともあり、高校生の頃、紹介されて基地内でバイトをしたことがあります。その頃はまだ1ドル360円とかの時代で、基地の中のバイトは時給がよかったんですよ。ベビーシッターのバイトでしたが、アメリカ人の軍人さんと日本人の奥さんという家庭だと、お子さんも日本語がちょっと通じるんですね。でも、両親とも外国人だと、全然日本語が通じないので、英語がちょこっとできると時給がアップするわけです。そういうこともあって、ちょっとだけ英語が話せたんです。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

小山 そうやって英語には触れていたけれども、当時は日本語教師になるなんてまったく思っていなくて。

瀬尾ま でも、どうして日本語教師になったんですか。

小山 英会話喫茶には、大学とか日本語学校とかの留学生がスタッフとして働いていたんですね。その中の1人が日本人の家庭でホームステイをしていたんですけど、門限が厳しくて嫌になって私の部屋に転がり込んできたんです。で、彼女が毎日日本語の宿題を持って帰ってくるわけですよ。括弧の中に「は」を入れる、「が」を入れるみたいな初級の日本語の宿題を。そんなの日本人なら誰でも「これは『が』」とか、「これは『は』」とかって答えられるわけじゃないですか。でも、「説明しろ」って言われても説明できないでしょう? すると、ある日私が帰ったら、彼女が「これから飲もう」って言って、ワインを置いて待っていたんですよ。「今日は先生にビッチリ説明してもらってきたから、これから私があなたに教えてあげる」って。

瀬尾ゆ どうして「が」なのかを。

小山 そう。英語だったら両方とも同じなのに、これはどうして「に」で、こっちは「で」なのか、みたいなことを滔々と説明してくれたわけですよ。それが悔しくって。次の日、街を歩いていたら「日本語教師養成講座」という文字が目に飛び込んできた。即決して彼女を負かしたいがためだけに日本語教師養成講座に通ったんですよ(笑)

瀬尾ま そうだったんですか!

小山 そう。それでも、まだ日本語教師になろうなんて大層なことは思ってなかった。彼女に説明をするためだけに養成講座に通って。で、養成講座が終わったら、日本語教師のお仕事が舞い込んできて。

瀬尾ゆ すごい。

小山 養成講座の同級生が、英語とかフランス語とかドイツ語とかの総合語学学校の秘書をやっていて。日本語はなかったんですけれども。私が英会話喫茶のマネージャーだったっていうのをその学校の校長に話したんです。校長はちょうど空いているスペースを英会話喫茶のようなサロンにしたいと思っていらして、呼ばれて会いに行ったんですね。でも、よくよく聞いたらそのサロンで利潤を上げたいっていうことだったので、「それだったらやめたほうがいいです」って私は言ったんです。

瀬尾ま そうなんですか。

小山 儲かるものではない。それはきちっと正直に言って、お断りしたんですね。そうしたら、日本語の授業が入った時に「あの子を連れてきて」って話になって、模擬授業も10分ほどで雇われて日本語教師生活がスタートしたんです。でも、初めは日本語教師で一生やっていこうなんて、全然、思ってなくて、ほんのバイトのつもりだった。先生なんて性に合わないし。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

小山 ところが、やってみたら意外に楽しくって。5年くらい勤めていたら、校長が代替わりしたんですが、新しい校長とは方針が違うというか、自分を曲げられなかった。前の校長が考えていたことは、私の考えに近かったし尊敬できたんですよ。例えば、生徒さんとして学校に来た人には、はやく使える日本語を身につけてもらいたいと考えている。でも、新しい校長は生徒さんが長く在校すれば、それだけ授業料が入るからという人で。納得できなかったからやめちゃったんです。
やめたのにはもう1つ理由があって、その学校に企業から日本語を教えてほしいという依頼がぽこぽこっと入ってきたんですね。東京の真ん中なので海外支社がある会社が多かったし、まだ日本がバブルの頃だったので、海外支社の社員を日本に1年呼んだりし始めている時代だった。午前中は日本語を勉強して、昼からは仕事とOJTみたいな長期研修を受けさせるため。ところが、午前中丸々日本語に費やすと、全然仕事ができないわけですよ。で、会社側から「始業前に授業をやってくれ」って依頼が来たときに、その校長が断った。

瀬尾ゆ うーん。

小山 朝早くから学校を開けなくちゃいけないのは面倒だ、出講も認めないということで。それで、私がその会社から直接仕事を頼まれて、社員寮に日本語を教えに行くことになったんですね。それで、その学校をやめて、フリーランスとして働き始めたんです。

瀬尾ゆ なるほど。

小山 だけど、まだそのときは1社だけで。一応、週4日ぐらいはレッスンがあったけど、朝の1、2時間で終わっちゃう。それで、夜、バイトをしながら続けました。

瀬尾ま バイトっていうのは、どんなバイトだったんですか。

小山 知り合いのスナックです。でも、今私たちがいるラウンジぐらい明るい健康的な店ですよ。みんな飲みに来てるけど、全然雰囲気の悪いところではなくて。いろんな職業の人と話ができて面白かったですね。バイト代をもらいながらそれぞれの業界の話も聞けるし、専門用語を教えてもらったり、営業の仕方や交渉の仕方を教えてもらったり、お客さんの会社から日本語の仕事をもらったり、気難しい人との接し方も習得できました。

瀬尾ま 最初はどうやって学習者を獲得していったんですか。

小山 最初は、チラシも作りました。フリーランスの教師は企業に日本語を教えに行くわけじゃないですか。移動するには時間もお金もかかるから、今のクライアント先の近くで次の仕事を得ようと。その地域に数人でも外国人がいるということは、その人たちが通うスーパーや店があるわけです。当時はネットもなかったから、そのスーパーにお願いして張り紙をしたりして。最近は、フリーランスやビジネス日本語についての講演を依頼されることがあるんですが、地方に行くと、「東京だからそういう仕事があるけど、ここにはない」って言われることがあるんです。でも、「ない」って思っているだけで、実はあると思うんですよね。

瀬尾ゆ 地方にも。

小山 そうです。私も「ものづくり」の会社からの派遣要請が多かった頃には、神奈川の奥のほうまで通ってましたし。関東でも工業団地って街じゃなくて外れのほうにあるんですよね。東京でも八王子とか、都心から電車やバスを乗り継いで1時間半以上かかるところ。だから、東京以外の地域でも日本語教師の仕事を見つけることはできると思っているんですけど。名古屋まで通っていたこともありますね。もちろん交通費は出していただけるんですけど、1時間だけだったら効率が悪いのでそこの社員の方の情報を頼りにいくつかその近所にも仕事を見つけるようにしていました。探せばあります。わざわざ東京から私が採用されたのは、その地域にはビジネスパーソンに特化して教えている教師がいないということでした。

瀬尾ま フリーランスとして日本語を教えている人は当時はあまりいなかったんですか。

小山 フリーランスでやっていこうとしていた人は、結構いました。ただ、みなさん、その後のバブル崩壊でやめていった。今から27、8年前かな。会社って、景気が悪くなって、最初に削るのが、設備投資か教育費でしょう。それまで社員たちが日本語を勉強したいって言ったら制限なしに出していた経費を、数週間に限定するというように減らしていくんです。そういう感じで、バブルがはじけたって世間が騒ぎ始める3カ月ぐらい前から仕事が減っていきました。今まで行っていたすべての会社で、「今月で結構です」と断られた時には自分の教え方が悪いのかとすごく自信をなくしました。安くすればいいんじゃないかと当時のフリーランス仲間は言っていました。

瀬尾ゆ バブルが崩壊するなんて、わかりませんもんね。

小山 それで、フリーランス仲間はみんな授業料をどんどん下げていったんですよ。私は当時、ひとりにつき1時間3,000円ぐらいもらっていたんですけど。みんな、それを2,000円にして、1,000円にして、800円にしてみたいな。時給を安くすれば仕事が来ると思ったんでしょう。仕事がなくても困るけど、あっても時給が下がれば生活ができないじゃないですか。だから続けられずに辞めていった人が多いと思います。だけど、私は夜のバイトという手があったんで、生活だけはできるからと、日本語だけは3,000円のまま頑として下げなかったんですね。当時の3,000円は今でいうと、5,000~6,000円……、もっとかな。だから、日本語学校よりずっと高かったけれど下げなかったし、学校に戻らなかった。
そうしたら、3カ月ぐらいしたら、世間が「バブルがはじけた」って騒ぎだしたんです。
で、日本のバブルがはじけたところに外資系企業がどんどん入ってきて、私が教えていたエンジニアたちはそちらに転職していったんですよね。そして、日本語レッスンを受けることができるように会社側に交渉し、声をかけてくれたんです。彼らのおかげでバブルがはじけた後、私はまた忙しくなっていました。

瀬尾ま 別の会社でってことですか。

小山 そうですね。これまで日本企業に勤めていた人たちが今度は外資系企業に勤めて、外資系企業からの仕事が入ってくるようになったんです。だから、バブルがはじけた時期のクライアントは100パーセント外資系企業になりました。授業料を出してくれるところが外資に変わっただけで、学習者は変わらず、仕事の数は1年後にはむしろ増えていました。日本に新規進出してくる企業も紹介してくれたりして、本当に助けられました。

プライベートレッスンの様子

「まずは相手を知らないと」「クライアントの要望に合ったものを提供する」
―学習者のニーズを見極める

瀬尾ま フリーランスの日本語教師の需要っていうのは多いんですか。

小山 需要はあるんですけど、企業で教えている日本語教師は多いとは言えません。長続きしない場合もあります。この文型は何が何でもこのレベルで教えなくてはいけないって考えている「日本語教師」では、クライアントのニーズとマッチしないかもしれない。他の教師と取り替えられることもあります。フリーランスとして、クライアントに雇われて教えるっていうのは、日本語教師の視点だけでは駄目なんですね。クライアントの要望に合ったものを提供する必要があるんです。例えば、韓流スターのことを例に挙げてみましょう。韓流スターって、女性ファンがすごいですよね。彼らがコンサートとかで日本語を話してるでしょう? ちょっと訛りがあったり、間違っていたりすると「かわいい」ってなる。ファンにとってはたまらない。じゃあ、政治・経済のコメンテーターは? 初級レベルだったら日本語は使わず通訳を使ったほうがいい。

瀬尾ま ああ。

小山 外国人タレントの発音や日本語が完璧じゃないからこそ、かわいいって感じられることがありますよね。その場合、その人の日本語を完璧にしてはいけないわけですよね。むしろ、ちょっと下手なところを残しておかないと駄目。日本語を学ぶ目的が日本のファンを増やすためなら完璧に上達させることが仇になるということがあるんです。ビジネスパーソンはまた別で、プレゼンするなら相当上手に聞こえないと不利になります。今は「やさしい日本語」が流行りだけど、上級日本語学習者からすると、日本人がやさしい日本語で話してくれると、自分が子どもだと思われてるとか、ばかにされてるとかって感じてしまうわけですよ。だから、私の仕事は「教育業」というより「サービス業」だと思っています。
相手によっては本当に細かな発音まで直すとか、相手によってはこういう間違えは残しておくとか、そういうのはニーズによって決まる、やっぱりお客さんあってのもの。ニーズに合うと「あの先生、いいぞ」って話になってくる。学校で教える場合とは教師に対する評価の基準が違うと感じます。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

小山 学習者から紹介された人には必ず、「私の評判、なんて聞いてる?」って聞くんです。すると、たいてい「優しいけれど厳しい」って答えます。

瀬尾ゆ 厳しい。

小山 厳しいっていうのは、「この人だったらここは絶対必要」っていうところは譲らずしつこく直すので、厳しい。それから、話し方が速い。このスピードで話すので。

瀬尾ま 学習者に対してもですか。

小山 はい。ティーチャートークはある面で必要って思うけれども、教師がはっきりゆっくり話してると、その人たちは教師の前でしか日本語が使えない。学生と違ってビジネスパーソンは日本語入門期から日本語のシャワーを浴びています。同僚が簡単なあいさつをしても通じないってことになるので、初心者の頃からこのスピードで話しています。その代わり、わからなかったら何度でも聞くように言っています。それで、3回聞かれたら、3回目はゆっくりはっきり話すと言ってあるんです。本当にネイティブ並みになりたい人もいるし、実際、通訳が仕事ならそのレベルにならないと。国際会議や会社間の取引で通訳がたどたどしい話し方だったり、何回も聞き返したら、相手は「大丈夫かな」って思うじゃないですか。クライアントに合ったレッスンをテーラーメイドで提供しています。

瀬尾ゆ じゃあ、もう最初に徹底的に、この人はどういうことが必要かっていうのを聞き出す?

小山 そうですね。顔合わせやトライアルレッスンのときに、雑談のように話していって相手のことを聞いているんですね。1時間あったら50分くらいは、どういう家族構成なのか、趣味は何か、飼っているペットの名前まで聞いていきます。それで、「私もこうやって住んでてね」みたいに雑談のように話していって。それで、奥さんが日本人で、お子さんがこれから学校に入るので、子どもが学校の授業で漢字を習ったときに自分がついて行けないのが嫌だって思ってるっていうのを聞いたら、トライアルレッスンは漢字の授業をやるとか。

瀬尾ゆ 相手のことをよく知るっていう。

小山 そう。あとは、今、困っていることとか、理想通りの日本語ができるようになったら何がしたいとか。そういう話を聞くと、だいたいわかるんですよね。例えば、ママ友とどこかに行きたいだったら、そこからスタートすればいいし、仕事で同僚と何かについて話したいだったらそこからスタートすればいいし、それからこんなことが日本語でできないって言われたら、そこのところをやればいいし。トライアルレッスンで教師が自分の1番得意なところを披露しても、相手がそれを全然求めてないかもしれないでしょう? そしたら、結局早めに切られちゃうみたいなことになる。漢字にしても、相手が初心者だから全然わかんないだろうと思ってても、アプリなんかで勉強して読めたりすることもあるんですよね。でも漢字は読めるけど、片仮名が読めないとか。だから、まずは相手を知らないとね。

瀬尾ま なるほど。

小山 あとは企業研修なんかだと、研修担当者にこの人たちをどのレベルまでにしたいかとか、どういう日本語が必要なのかとかを確認しますね。例えば、エンジニアの人だと、会社の外には出ることがないから、同僚の言っていることがわかればいいとか、そういうこともありますよね。だけど、そのエンジニアの人がだんだん上の立場になって、セールスエンジニアになって自分の会社の商品を売り込みに行ったりするようになると、上級の日本語が必要になってくるしね。そうすると、そういう語彙って日本語の教科書にはないわけですよ。

瀬尾ゆ ないですよね。

小山 例えば、今行っているクライアントのひとつに法律事務所があるんですが、そこは日本の商社の石油の取引とか、新幹線を売るとか、インフラを作るとかそういうところとの間を取り持つ人たちなんですね。当然、私もそんな語彙は全然わからないので、会社の秘書の方にお願いをして、どういう言葉を使っているのかをシェアしてもらっています。あとはもう終わった契約書を、会社の名前とかを全部塗りつぶしてもらって教材に使う。もちろん、私が法律用語でわかんないところが結構あるんです。でも、教師がわからないっていいことでもあるんです。教師の私に説明してくれるための教材になるでしょう。

瀬尾ま その人が実際に使っているものを教材として使用されるんですね。

小山 はい。ニーズに合えば。学習者本人や企業の担当の方に聞いていて残念に思うのは、教え方は上手なのにクライアントに対する聞き取り不足の方が多いように感じます。新規クライアントから依頼されるときに、「これまで3人の先生を断って、あなたが4人目です」とか言われるケースが結構あるんです。でも、それって別に私の教え方がうまいというわけではないんですよ。その断られた先生方はとても熱心に準備もしてきているのに、ピント外れのことをやっていたんですね。学習者は全然やりたくない、必要ないと思っていることばかりを一生懸命やらされて、それで宿題やってこないと怒られてみたいな。

瀬尾ゆ 確かにそれはつらい。

小山 そう。でも、彼らにとっては宿題とか日本語の優先順位って下のほうなんですよね。それよりも大切な仕事がたくさんたまってる。私が教えている人たちは、ほとんどが仕事で日本に転勤することになっちゃったとか、日本の会社で自分の技術が高く買われたから来たけど、別に日本語なんかっていう人も結構いて。だから、宿題なんかやってきやしないですね。

瀬尾ま 日本語学習のモチベーションが低い?

小山 低いです。でも、低くて当たり前。だから、宿題やってこないでどうやってうまくさせるかとか、そういうことを考えなくちゃいけない。例えば、日本語をその人の趣味にしてもらう。漢字の勉強が苦手な人がいたんです。でも、仕事も忙しい。で、その人の趣味は競馬なんですね。だから、競馬新聞を教材として使うとか。別に日本語の教科書じゃなくちゃ勉強できないってことじゃないわけですよね。教科書は勉強しやすいようにできてるけど、その人が競馬好きだったら、「競馬新聞が読みたいから、これ、なんて書いてあるんだろう」って調べるし、こちらから教えても入んないものが、鼻差って1回出てくれば、自分が知りたいから「『鼻』という漢字だ」って。そうやって覚えてく。だから、その人がどうやったら勉強していくかのトリックを考えるみたいな楽しみもありますね。あとは、ちょっと手助けしたりとか、ちょっとつついてみたりとか、そういうのが仕事の中心ですかね。

主催する勉強会「サタラボ」で

「常識だと思われているものを疑う」
―学習者の世界から日本語を見る

瀬尾ゆ こういう学習者のニーズを見るというのは、どういう風にして学ばれていったんですか。

小山 自然にですかね。自然っていうのはどういうことかというと、日本語教師って聞いてみると、ほとんどの人が語学が好きなんですよね。でも、私、嫌いなんですよ。私、机に座ってする勉強が嫌いなんですよ。一応進学校には通っていたので、成績取れるぐらいの勉強はしていたんですけれども、何かを勉強しようと思った時に、机に向かって勉強できないんですよ。今でもそうなんですけど、喫茶店で勉強したり、公園で本を読んだり、そういう形で勉強している。なので、本当はいけないことだとは思うんですけれども、語学を習ってマスターしようってあんまり思わないというか、好きではない。

瀬尾ゆ でも、英語はベビーシッターをするために学ばれていた?

小山 それは、そのほうがバイト代がいいから、必要だから学んだ。でも、あんまり英語を書かないで、耳だけで。でも、耳だけでもある程度話せるわけですよね。ベビーシッターの時給を高くしてもらう交渉には十分の英語が話せるようになりました。それで、日本語を勉強する人にもそれでいい人もいるんじゃないかなと思ったんですよね。もちろん本当に日本語を真剣に勉強したいと思ったら、コツコツやったほうがいいと思うんですよ。例えば、初めに平仮名が必要だと思ったら覚えるだろうし。でも、平仮名いくら覚えたって「です」「ます」とかそんなのしかわかんないし、電車の中でも平仮名だけじゃ全然わかんないでしょう? でも、片仮名は違いますよね。片仮名だと商品名も読めるし、「このことばは英語の何とかだ」みたいな驚きもあるし、感動もある。だから、私はたいてい片仮名からスタートするんです。そうすると、喜びが感じられる。平仮名を一生懸命勉強しても、五十音がマスターできた次の瞬間、がっかりしか感じないんですよね。平仮名が全部読めるようになったのに、日本語の初級テキストは読めても街に出ると何も読めない、意味が分からないみたいな。

瀬尾ゆ なるほど。

小山 平仮名から教えるっていうのは日本語教育界の常識だとは思うんですけど、別に漢字からスタートしたっていいわけですよね。こうやって常識だと思われているものを疑う、これって本当に必要だろうかって考える。

瀬尾ま 常識を疑う。

小山 そう。この言葉が簡単とか、この言葉が難しいっていうのは、やっぱり教育者から見た「簡単」と「難しい」なんですよね。弁護士の方に日本語を教えていると、「瑕疵(かし)」ってことばが出てくるんですね。瑕疵って「傷」のこと。日本語の教科書では傷っていうじゃないですか。でも、彼らは瑕疵っていう言葉はしょっちゅう出てくるから簡単なんですね。反対に、傷っていう言葉は彼らの世界では出てこないんですよ。医者だったら、警察官だったらどうですか。このように、仕事で日本語を必要とする人にとっての簡単な言葉と、日本語教育界での簡単な言葉は違うわけですね。

瀬尾ゆ 日本語教育界で言われている常識が学習者に当てはまらないなっていうのは、フリーランスを始めた最初から気付かれていたことなんですか。

小山 気づいていたっていうか、普段からそういう考え方なのかもしれないですね。あと、教え始めた当初は外国人の模擬体験をするっていう「1日外国人デー」をよくやっていました。私が全然日本語がわからない人だとしたら、何が不便なのかということを考えながら町を歩くんです。例えば、シャンプーとリンスなんて見た目がほぼ同じですよね。もちろん英語で書いてある場合もあるけれども、片仮名だけしかない場合も多い。だったら片仮名は必要かな、とか思うわけですよ。

瀬尾ゆ 学習者の目を通して日本語の世界を見直す、みたいな。

小山 そうですね。学習者も本当に欲しい情報や日本語だったら、一生懸命勉強するわけですよ。教師がいくら「この文法はすごく大事だからね。覚えといてね」って言っても、その人が大事だと思ってなかったら、そんな説明を長々とするよりも、「こういうときにこれが使えるよ」っていうところからいくと、「これが使えるのか」っていう感じでできるようになっていきますよね。

ドラッガーなど経営に関する格言をいくつもメモしている

「どうやったらできるかアイディアを楽しんで考え出せる人」
―フリーランスの教師に求められるもの

瀬尾ま フリーランスをしていて、語学学校で働きたくなったとか、そういう気持ちにはならなかったんですか。

小山 ならなかったですね。やっぱり学校は窮屈な感じがして。もちろん学校の楽しさや良さはあると思うんですね。フリーランスだと、営業もしなければならないし、請求書を書いて送って領収書もらってとか、そういうのを全部自分でやらなくちゃいけないわけじゃないですか。だけど、学校に勤めていると、そういうのは学校がやってくれる。それに、仕事がないときもないだろうし、安定はしてると思いますよね。同僚に代講してもらうこともできるかもしれないし、楽しい学校行事もあるでしょう。だから、学校の良さっていうのはあると思います。ただ、私が窮屈だと思うのは、自分がこれは違うなと思っても従わなければならない。例えば、スマホとかタブレットを使ってはいけないところだったら使ってはいけない。教科書はこれって決まってたら、それを使わなければいけない。そこでクエスチョンマークが出てくる教師もいるわけですよね。「この仕事、ただでさえ給料低いのに、なんでこんなに苦しいの」っていう感じになりますかね。でも、学校がお客さんを呼んできてくれるから、給料が低いのもしょうがないとも思うんですね。営業してくれる人も請求書を書いてくれる人も別にいて、その人たちがやってくれるから先生たちは教えるほうに集中していられるのだとしたら、そのほうが楽かなと思えるなら学校のほうがいいんでしょうか。

瀬尾ゆ 楽してるんだからっていう。

小山 その時間だけ行って、面倒な営業とか交渉とか集金とかコースデザインとかしなくていいなら楽でしょうか。でも、もし学校で苦しいと感じるんだったら、やっぱりある程度のリスクを覚悟して独立しちゃってもいいんじゃないのとは思います。常勤とか専任とかだったら、そこで仕事をしなければいけないというのはあると思うんですけど、非常勤とかで他で仕事をしてはいけないというルールがないなら、学校と並行してでもフリーの仕事ができるし、主婦で収入の上限がある方は、フリーで1コマ、2コマやるとか、フリーランスのほうが楽かもしれないと思うんですよね。だけど、それだけじゃ生活していけないので、ちゃんと生計を立てなくちゃいけない人だったら、そこのところも考えなきゃいけない。

瀬尾ゆ そうですね。

瀬尾ま こういう人がフリーランスに向いてますよとか、そういうのってありますか。

小山 学習者が思うように勉強しなくても、学習者が駄目だとか、学習者ができないと思わないで、どうにか考えて、どうやったらうまくなるかとか、どうやったらできるかっていう、そういうアイディアを楽しんで考え出せる人。常識にとらわれてると、やっぱり難しいと思いますよね。学校でやってるようなことを習うんだったら、安い学校のほうがいいわけなので。だから、「この先生、学校には合わないと思うけれども、自分にはぴったり合ってる」って思ってくれるファンが増えると行列ができます。空くまで待つから教えてほしいって。

瀬尾ゆ なるほど。

小山 日本語教師って全体的にボランティア精神が高いと思うんですね。ただ、そのボランティア精神が、誰に対しても同じではなくて、「この人のためだったらこれは必要」とか、「これは要らない」とか、いらないところはバサッと切れるということが大事なんです。さっきの韓流スターの話ですけど、それもボランティア精神が強くて真面目な日本語教師ほど、「この人を素晴らしく上手にさせてあげたい」と思っちゃうんだけど、「この人にとって完璧になるのが果たしていいのかな」っていうところの、「これがなかったらどうなるの」とか、「これは本当にそれでいいんだろうか」とか、「世間で言われてる常識でいいんだろうか」っていうようなところを考えられることが必要ですね。
あとは、やっぱりフリーランスって自由でルンルン楽しいって誤解する方もいるんですけれども、厳しいところも多いですよね。特に外資系企業とか。今、グローバルになってきているから、日本企業もそれに近くなってきたと思うんですね。個人のクライアントでも駄目なときには1回で断られますから。それもにこにこ笑って。

瀬尾ゆ シビアですね。

小山 大体そういうときは、「仕事が忙しいから」って断られるんですね。でも、それって大人として当然の対応で、「あなたの教え方が下手だから」、「あなたの教えてることは必要ない」なんて誰も言わない。そこで「待てよ?」って疑うことも大事。「ああ、仕事が忙しいんだったら、しょうがないな」って思って納得してしまうと、教師としてのスキルは上がらないし、どうやってみようかっていう工夫ができない。いつまでも私は先生として正しいと思って、この人が学習者として劣っていると考えてしまう。

「日本語教師の目だけで見ない」
―小山さんからのメッセージ

瀬尾ゆ 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージはありますか。

小山 まずは日本語以外に自分の得意なことを見つける。

瀬尾ゆ 日本語以外に?

小山 うん。料理でも洗濯でも趣味でも何でもいいですけど、自分の得意なことっていうのは持っていたほうがいいんじゃないかなと思いますよね。他人より少し語れるくらいに。
人生経験、例えば、子育てにしてもそうだし、介護にしてもそうだし、何一つ無駄にならないのが日本語教師の世界だと思うんですね。例えば私だと、銀行員だったときの私、喫茶店のオーナーだったときの私、スナックでバイトしていた私…。これを全部切り離して別々に考えると、日本語教師以外のすべてが無駄な時間のように感じてしまう。でも、実はこれが全部使えるんですよね。だから、日本語の世界だけで、日本語教師の目だけで見ないこと、そして疑ってみるっていうことが大事というか。かっこいいことを言うと「クリティカルシンキング」できるようにトレーニングすること。柔軟な頭を持つためにも様々な経験をするとか、それが無理なら多様な背景の人たちの話を聞く機会を持つとか、日本語教育以外の学びも大切にしてほしいですね。

瀬尾ゆ 日本語教師以外の世界をくっつけて考えると、日本語教育の常識にとらわれない授業ができていく。

小山 そうです。教師は伴走者、サポーターと言いますが、そのサポーターが選んだコースを走るのでは学習者の望むゴールにはたどり着けないかもしれない。日本語教師として真面目な人ほど、日本に来たばかりの人には、その人のために初級のテキストにある文型を教えればいい、ビジネス日本語は初級の人には教えられないと思っている。それは大間違いで、初級で出てくる文型だけでもビジネスで使える日本語って、結構あるんですよ。そういうのを考えるためには、日本語教師としての目だけではなく、その他の目と両方を忘れないことが大切。これから日本語教師になる人も、必ずその人の持ち味、強みってあるから、そこはなくさないでほしいなと思いますね。

インタビューを終えて

瀬尾ま 常識を常に疑い続ける小山さんに感銘を受けました。自分自身、日本語教師としての経験が長くなり、「それは当たり前…」と思ってしまっているところがあるのではないかと反省しました。日々常識を疑い、学習者に寄り添うことはフリーランスならずとも、全ての教師が頭に留めておかなければいけないことなのかもしれません。

瀬尾ゆ 学習者の話をよく聞くというのは、ただニーズを把握するためだけでなく、日本語を学ぶことでその人が得られる「幸せ」を考えることではないかなとお話をうかがいながら感じました。また、「日本語教師としての私」だけでなく、いろいろな「私」が合わさった1人の人として日本語や日本語を学ぶこと・教えることと向き合っていらっしゃるという点にも共感しました。

サタラボ見学レポートはこちら↓

日本語教師の勉強会を見学vol.1「サタラボ」

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