vol.11 加藤駿さん


教室の外で関わる、人と出会う、居場所を作る

今回は東京都内の日本語教育機関で事務職員をされている加藤駿さんです。2019年8月31日、東京都内の貸し会議室で約2時間にわたってインタビューさせていただきました。


《今回の「日本語教師」》加藤駿(かとう・しゅん)さん 立命館大学学部生の頃より留学生の国際交流や生活支援、日本語ボランティアに関わる。学部で日本語教育を専攻、2014年卒業。同年、早稲田大学大学院日本語教育研究科へ進学し、多文化共生、外国人と外国人を受け入れる側の人々の協働的な日本語教育、教室外支援等を専門に学ぶ。2016年修士課程修了後、アメリカ合衆国ミネソタ州にあるMacalester大学 Asian Languages and Cultures学部(※) 日本語ラボインストラクターとして勤務。帰国後は、都内日本語学校にて事務局員として学校運営に関わる。

※ 2020年5月30-31日、Macalester大学にて、第28回中西部日本語教師会(CATJ28)が行われます。発表の応募締め切りは、2020年2月20日です。詳しくはホームページをご覧ください。


「僕は教えることそのものよりも、授業の外に興味があるんだな」
―学部・大学院で日本語教育を学ぶ

瀬尾ま 大学で日本語教育を専攻されていたとのことですが、何をきっかけに日本語教育を学ぼうと思われたんですか。

加藤 正直に言うと、日本語教育をやりたかったわけじゃなかったんですよ。高校までは理系で、進学校に通っていたので、ずっと勉強をさせられていたんです。でも、勉強するのが嫌になっていて、大学では文系に進んで遊んでやろうと思って(笑)。

瀬尾ま 文系は遊ぶイメージだったんですね。

加藤 そうなんですよ(笑)。文章を読んだり書いたりするのが好きで、立命館大学の文学部に言語コミュニケーション専攻という、アナウンサーの勉強や文章表現、英語教育などを学べるところに入りました。
入学してすぐに、「日本語の授業で外国の人と話してくれる人を募集しています」っていう案内がきて。知らない人と会えるしいいかなと思って参加しました。3、4人のグループで雑談したり、作文を一緒に読んだりして、留学生から「すごく楽しく喋れた」って言われたら、なんかテンションが上がっちゃって(笑)。その頃に、大学内で留学生の受け入れの支援をする団体のボランティアの募集がちょうどあって、それも「じゃ、やってみよっか」っていうノリでとりあえず行ってみたら、そこからずぶずぶと抜け出せなくなっていったんです。

瀬尾ま それはサークルみたいなものですか?

加藤 学校管轄のボランティア団体です。来日してすぐの短期留学の学生を区役所に連れて行ったり、携帯電話の契約を手伝ったり、あとは国際交流のイベントを企画・運営したり、そういったことをしていました。最初はそれほどでもなかったのですが、はまってからは、週5回、1日通しで受入れ時のオリエンテーションに参加したりして。

瀬尾ゆ すごいですね。ほぼ全部に参加ですか?

加藤 ほぼ全部です(笑)。日本語の授業のボランティアもほぼフルで行くようにしました。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

加藤 あとは、留学生が勉強している校舎の真ん前に「外国人ベンチ」っていうところがあって、留学生のたまり場になっていたんです。授業のない時間帯はずっとそこにいて、留学生としゃべっていました。

加藤さんがいつも座っていたという”外国人ベンチ”

瀬尾ゆ 何がそんなにどっぷり浸かるモチベーションになっていたんですか。

加藤 僕は小中高はすっごい狭い人間関係だったんですよね。それで大学では、もうちょっと友達を作ることを目標にしようと思ってて。

瀬尾ゆ なるほど。そのベンチでは毎日どんなことを話していたんですか。

加藤 すごくくだらないことばっかりですよ。どこの居酒屋が安いとか、自分の国で起きたこととか、YouTubeのおもしろい動画の話とか、本当に雑談です。でも、その中でも頭に残ることがちょこちょこと出てきてたんですよね。たとえば、日本での悩みやトラブル、Mixed-rootsであるために人間関係で悩んでいた留学生の話とか、親に無理やり日本語を勉強させられて、あんまり勉強したくなかったっていう留学生の話とか。そういう話を聞いているうちに、留学生たちが日本に来て、日本語の授業の問題ではなく、生活の問題でうまく馴染めていない部分もあるなと感じました。それで、大学3年生のゼミを決めるあたりで、日本語教育を専攻すれば参考になることが勉強できるかなと思って、日本語教育のゼミに入って勉強することにしました。だから、留学生の支援的なほうには興味はあったんですけど、日本語そのものにはあんまり興味がなかったんですよね(笑)。

瀬尾ま でも、日本語教育を専攻すると、言語的なこととか、教え方がメインになると思うんですけど、そのあたりはどうだったんですか。

加藤 そうなんですよね。役には立つんですけど、それ自体が楽しかったかと言われると…(笑)。ただ、僕はずっとボランティアで日本語の授業に行っていたので、「留学生たちはこういう風に日本語を勉強しているんだ」とか、「こういう言い方だと、留学生はわからないんだ」っていうのがわかって、日本語教師を目指すためっていうよりは、留学生の状況を理解するのにすごく役立つなという意識で勉強していましたね。

瀬尾ま 日本語教師になろうっていう気持ちはあまりなかったんですか。

加藤 なかったです。将来のメシの種になるかなっていうぐらいで。

瀬尾ゆ へー。就職活動も特にはしなかったんですか。

加藤 しなかったです。大学3年の終わりぐらいからは大学院に行くことを考えていました。留学生とコミュニケーションはとれていたんですけど、自分の勉強不足でいろんな失敗もしてきたので、もうちょっと勉強したいなと思って。

瀬尾ゆ どんな失敗をされたんですか。

加藤 台湾の留学生に「中国の一部でしょ?」って言っちゃたりとか、韓国の留学生が政治についてすごく熱く語っている背景や事情を僕は何も知らなくて、温度差を感じたりとか…。

瀬尾ま そういうのであれば、日本語教育以外の専攻でも勉強できると思うんですが、別の分野には行かなかったんですか。

加藤 行かなかったですね。これまでずっと留学生と一緒にいたので、将来もやっぱり留学生と関わりたかったし、日本語教師というのは一つの職業としてはありなのかな、と思いました。

瀬尾ま 大学院はどのように探されたんですか。

加藤 日本語そのものを研究したり、日本語の教え方そのものを学びたいというわけではなかったので、そうじゃない視点から日本語教育全体を見ているようなところを探しました。で、早稲田大学だったら、池上摩希子先生が地域の日本語教育をやったり、宮崎里司先生が社会的なことをやったり、舘岡洋子先生が協働的学習をやったりしていたので、いいかなと思って進学しました。

瀬尾ゆ 大学院ではどんなことを研究されたんですか。

加藤 先ほど言ったように、僕自身が勉強不足から留学生を傷つけていたかもしれないという問題意識があったので、日本語母語話者の意識をどうやって変えられるのかということを研究しました。それで、その研究を通して、留学生と交流するためには国際交流センターなどの特別な場所にわざわざ行くのではなく、外国人ベンチみたいにフラッと行ける場所があったり、たまたま隣の席になったら「元気?」って声をかけられるような環境を作ることが大事だって思い始めたんです。そして、やっぱり僕は教えることそのものよりも、授業外でどうやって留学生をサポートしたらいいのかとか、授業の外に興味があるんだなってわかってきたんです。

「教師以外の経験も必要だな」
―アメリカで2年間の日本語教師。帰国後、日本語教育機関の事務職に

瀬尾ゆ 大学院を修了した後、今の仕事に就かれたんですか?

加藤 修士課程在籍中は、日本語学校で週に1、2回非常勤講師もやっていたんです。でも、やっぱり日本語を教えることに自分はそれほど興味がないと感じていました。たとえば授業の引継ぎで、他の先生から「あの学生はこの文法項目が全然できない。まったく勉強してないと思うんですよね」と聞いて、その学生の生活面や精神面でのケアが必要なんじゃないかと気をつけたりして…。やっぱり授業の外に目を向けなきゃいけないなって強く思うようになりました。

瀬尾ま やっぱり日本語教師はちょっと違うなと?

加藤 ええ。でも、日本語教師の資格も取っていたので、ここまで来たら自分の進路をあんまり変えられないな、常勤になって深く現場へ関われば何か変わるのかなと思いつつ、修士課程を修了して半年ぐらいは定職につかずプラプラしていました。そうしたら、指導教員だった舘岡先生に「いい加減、どっか行きなさい」って言われて(笑)。その時、アメリカのマカレスター大学でたまたま募集が出ていて、応募しました。英語もできないし、海外に行きたいっていう気持ちもそれほど強くなかったんですが、ずっと非常勤を掛け持ちでしててもしょうがないし、いいチャンスかなと思って受けてみたんです。

瀬尾ま マカレスター大学はいかがでしたか。

加藤 そこには「ジャパンハウス」っていう、日本語を勉強してる学生が住む家があったんです。募集していたインストラクター枠は、その家に住んで、学生たちと一緒に生活しながら日本語を話したり、留学に向けた準備を手伝ったりする仕事でした。学習者の授業以外の生活も見られるので、自分にはぴったりだったんです。

瀬尾ま 仕事内容を元々知っていて、その大学に行かれたんですか。

加藤 インターネットで「そういうのがあるんだ」って事前に見て、日本語だけをゴリゴリ教えるわけじゃないんだったら、自分でもできることがあるかな、と。募集の要件にも、そういう交流ができる人って書いてあったので、面接ではアピールしました。

瀬尾ゆ 授業はいかがでしたか。

加藤 かなり自由にさせてもらえましたね。プロフェッサーが教科書中心の授業をやって、僕が会話をやっていました。最初は言われたとおりに教科書の会話をやってたんですけど、アクティブラーニングを取り入れてプロジェクトワークをやったほうが学びが深まるかなと思って、自分でいろいろ考えてプロジェクト活動をするようになりました。「こういうことをやってみたいんです」って言ったら、「じゃ、やりましょう!」とおっしゃっていただけて、とても働きやすいところでした。

アメリカで留学生支援のコミュニティに飛び込んでハロウィン体験

瀬尾ゆ 外国にあまり興味がないというお話だったんですが、アメリカに初めて住んでみて、生活面はどうでしたか。

加藤 自分自身が“外国人”になってみたいっていう気持ちはどこかにあったんですよね。だから、言語的に不自由だったり、まったく知らない土地で生活するのは、楽しかったです。スターバックスでコーヒーを買うのも「これ! これ!」って指さしたりして。

瀬尾ま 英語はそんなに得意じゃなかったんですね。

加藤 全然できなかったです。でも、これが初級で来日した留学生の気持ちなんだなと思って、新鮮でした。1年契約だったんですが、1年経って、学校の現状や改善のアイデアも見えてきたので、契約を更新しました。

瀬尾ま 2年を終えて帰国されたのはどうしてなんですか。

加藤 ずっと日本に彼女がいて、そろそろ帰ってしっかりしなきゃと、帰国しました。それが2018年5月です。で、帰ってきて、またプラプラしてたんですね。で、日本語教師をやってみて楽しい部分もあるなと思った一方で、日本語能力を上げることが自分の一番やりたいことではなく、これからずっと力を注ぐことはできないなとも感じました。でも、教室外のことを考えていくためには、もっといろいろなことを理解しないといけないなとも思ったんです。

瀬尾ゆ というと?

加藤 僕の親が役所の人間なんですが、親が勤務していた役所でも外国人の問題があったそうなんです。それで、僕が大学院で学んだことを親に話したら、「困っているからといって行政はすぐ動くわけではない」と言われて。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

加藤 行政は、国民からもらった税金で動くと。困っているからすぐお金を出せるわけではなく、税金を払っているできるだけ多くの人に還元されるメリットを考えて、お互いが幸せになるような使い方じゃなければ、お金はなかなか出せないし、動けないというような話をしていて。そういうことを聞いたときに、教師だけをやっていても見えないことがある、特に教室以外のところを考えていくのであれば、教師以外の経験も必要だなと思って、就職活動のエージェントを使って就活を始めたんです。

瀬尾ま どういう業種で探されたんですか?

加藤 やっぱり外国人が多く在籍している会社とか、外国人に関われるところで働きたいと思って探していたんですけど、日本語教師が別の職種に転職するのって結構大変で、全然見つからなかったんですよ。

瀬尾ゆ 経歴が…。

加藤 はい。やっぱり中途採用の26、27歳となると、勤務歴が3~5年あって、ある程度の仕事をこなせる人が求められるんです。「営業能力や計数管理能力があるか?」とか、「労務関係の処理能力はあるか?」と言われても、僕には全然なくて、見つからなかったんですよね。

瀬尾ま 結構苦戦されたんですね。

加藤 はい。3か月ぐらい就活をやったんですが、教育業界でも教育職ではなく一般職・総合職だと、書類審査だけで落とされるところが多かったです。結局残ったのが、今勤務している日本語教育機関の総合職でした。日本語教育業界から一度離れることが大事だと考えて就活をしていたので、また日本語学校かという部分は残念だったんですが、留学生とも関われるし、いろんな事業をしている会社なので違った面も見られるかなと思って、今の会社で働き始めました。

瀬尾ゆ 最初はどんな仕事をされたんですか。

加藤 受付対応とか、電話取りとか、いろんなことをやりました。でも、ビジネス経験がなかったので、名刺の渡し方や、内線・外線の取り方、レジの打ち方、お客様が来た時のご案内の仕方、エレベーターの乗り降りとか、そういう社会人の基礎のことから勉強しないといけませんでした。

瀬尾ゆ エレベーターの乗り降りって?

加藤 お客様が来られたら、先にエレベーターの中に入ってボタンを押して待っておくとか、お客様が帰られるときはお辞儀をしてドアが閉まるまで待つとか、そういうことですね。

瀬尾ま そういうことは先輩が教えてくれるんですか。

加藤 いえ、僕は中途枠での入社だったので、そういうことはできているものという前提があるんですよね。だから、OJT形式で教わることもあれば、「今日のあれはまずかったかな?」って思ったことを家に帰って本を読んで勉強したりしていました。

瀬尾ゆ 全然違う世界はどうでしたか?

加藤 朝家を出るとき、1か月ぐらいずっとお腹が痛かったです(笑)。でも、周りの人はすごく優しかったですし、日本語学校の雰囲気はなんとなくわかっていたので、そういう意味では馴染みやすかったです。

瀬尾ゆ 教師側から見た日本語学校と事務側から見た日本語学校では違いがありますか。

加藤 全然違いますね。やっぱり教師をしていた頃には見えなかった世界が見えてきました。事務の仕事って経理や労務、人事だけでなく、留学生の在籍管理もするんです。だから、事務職員としては、留学生のビザがちゃんとおりるようにするにはどうすればいいのかを、まず考えます。たとえば、授業にあまり来なかったり遅刻ばかりしている学生のことを、「金銭面が苦しくてたくさんアルバイトしている苦学生だ」と、非常勤時代は応援するような気持ちで見ていました。でも、出席率が下がってくると、ビザそのものがおりなくて、日本で生活すらできなくなってしまうんですよ。不法滞在となったり違反が多い学生が増えたりすると、最悪の場合、学校そのものが留学生を受け入れられなくなる。つまり、経営ができなくなるんです。そこまで考えるかどうかという意識の違いができたのかなと思います。

瀬尾ま そうですね。

加藤 だから、留学生の通帳を見せてもらって、このアルバイト時間数でこの給料はおかしいとか、親からの仕送り額と留学生のアルバイト代を見て、生活の様子と合わないから隠れてアルバイトをしているんじゃないかとか、変なところからお金を借りているんじゃないかっていうのを見つけたりして。

瀬尾ゆ そういうのを見つけた場合は、どうするんですか。

加藤 帰国して、もう一度就労ビザで再来日するのがいいのか、親の仕送りを増やしたり、アルバイトだけで生活していけるのかを親を含めて相談するとかして、学校として必要な管理とその留学生にとって一番幸せな方法は何かという両面から考えながら、対処していきます。

瀬尾ま しっかりサポートされているんですね。

加藤 日本語教育機関の告示基準や法律が変わって、在籍管理が一気に厳しくなっているんですよ。以前はアルバイト先を全部記録して残しておくことなどは求められていなかったんですけど、今では求められるようになったりとか。

瀬尾ゆ そういうことになってるんですね。

加藤 はい。あと、1か月のうち半分授業に来ない学生は、どこでアルバイトしているかも含めて報告しなさいとか。こういったことは非常勤で日本語教師をして教室だけを見ていたら、見えなかったところかなと思います。

瀬尾ま瀬尾ゆ なるほど

加藤 あと、ビジネスマナーも、僕も教師だけをやっていたら、お客様に不快感を与えていたのかなと感じますね。留学生30万人計画が達成されて、留学生のビザが今だんだんおりなくなってきているんですが、そんななかで日本語学校も介護やビジネスの企業案件を増やしているので、企業に派遣しても大丈夫か、という視点も大切になっています。学校ではすごくいい先生だけど、ビジネスマナーがあまり…というような方もやっぱりいらっしゃるようなんですね。日本語学校業界は留学生だけを教える流れではなくなってきているので、プラスで介護の資格を持っていたりとか、ビジネスマナーができて外に安心して派遣できるとか、日本語学校の中でも授業力だけではなく専門性や、生活指導や進学指導、事務処理などいろんな業務ができるとか、そういった力がより求められているのかなと思います

瀬尾ま 教える以外のプラスアルファが求められるようになってきているってことですね。

「日本語教育業界にも、いろんな人が参加して出会う機会があったらいい」
―人との出会いから得た気づき

瀬尾ま 日本語教師をしていた時の経験が今のお仕事に生かされているなって思うことはありますか。

加藤 ありますよ。他の事務職の方々より教師の大変さがよくわかると思います。日本語教師が授業準備に時間をかけないと不安だっていうのもわかるし、学習者20人の面倒を見るのが難しいっていうのもわかります。一方で、当時の自分の反省も含め、日本語教師はもうちょっと効率化できたるかなっていう、違う面も見えたりしますね。

瀬尾ゆ 効率化っていうのは授業準備や授業に関することですか。

加藤 はい。ミーティングをもうちょっと短くできないかなとか、本当にちっちゃいことなんですが。僕が会社に入って最初に怒られたのは、『ホウレンソウ』の報告の仕方だったんです。日本語教師をしていたときの引継ぎ、報告だったら、「いやー、実はこういう問題が起きて大変なんですよ」、「ああ、わかる、わかる。あの学生、大変なのよね」っていうやりとりだけで30分過ぎちゃうんですよね。でも、入社して教えられたのは、困ったことがあったら自分なりの結論や提案を持って来いと言われました。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

加藤 他にも、導入のためのイラストを探すのでも、この画像だとちょっと誤解を与えてしまうかもしれないっていろいろ探したりとか、サイズがちょっと合わないからって修正したりするじゃないですか? そういうの僕もやっていたので、すごくわかっちゃうんですけど、そういうのももちろん大事なんですが、優先順位を決めて、悩んでる学生に1本電話をかけて話を10分聞いてあげるなど、他に大事なことがあれば、そっちをしたほうがよかったのかなと今は思ってしまうんです。

大学時代のボランティアでは、留学生を区役所まで引率するなどしていた

瀬尾ゆ これからも事務職員を続けるとしたら、キャリア的にはどのように進んでいくんですか。

加藤 上の人が僕の育成計画をどのように考えているのかはわからないですけど、今は一事務員としてやっているところから、事務員を管理する立場を任せられて、うちだと校舎が複数あるので、いくつかの校舎を任せられるようになるのが一般的なキャリアアップの流れかなと思います。ただ、自分がそこまでいけるかどうかって言ったら、全然いける気がしないですけどね(笑)。
ただ、僕は小中高といまいち居心地いいなあって思うところがなかったのが、大学に入ってから外国人・日本人に関わらず人と出会って自分の居場所につながる場所が得られたので、将来的にはいろんな人のためにそういう場所を作っていけたらいいなとも考えています。必ずしも仕事としてでなくても、週末だけの喫茶店でもコミュニティスペースでもボランティアでもいいので、そういう場づくりを将来はしていきたいなと思っています。

瀬尾ゆ 今のお仕事で、そういう場はありますか。

加藤 場というか、職場、職種を変えたことで、また違うタイプの人達と出会っていろんな新しい視点がもらえてよかったなと思うことはあります。たとえば、営業の人と話をするだけで、「そうか! 数字を追いかけるのってこんなに大変なんだ!」、「一人の学生にうちの学校を選んでクラスまで来てもらうのはこんなに大変なんだ」って気づきました。そういう気づきはいろいろな人と話をすることで得られるので、いといろな人と話す機会や場は大事にしたいなと思います。

瀬尾ま 日本語教育という狭いところにいるんじゃなくて、広がっていくのが大切なのかもしれないですね。

加藤 いろんな人の視点をもらいながら、その中で自分に何ができるのかが見つけられたらいいなと思っています。日本語教育業界っていうのは、ほとんど日本語教師だけで動いている状況だとは思うんですけど、もうちょっと事務員とかカウンセラーの方、他業種の方とか、いろんな人が参加して、お互いに出会う機会があったらいいのかなと思います。
あと、事務職員が書いた論文を探したことがあるんですけど、1本か2本しかないんですよ。だから、もっともっと私たち事務職員もそういうところに関わっていったら面白いことができるのかなとはすごく思いますね。

瀬尾ま 確かに。

加藤 ただ、私自身は今は全然研究できてないですけどね(笑)。

「いろんな人と話をすることで知らなかった世界が広がる」
―加藤さんからのメッセージ

瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージをお願いいたします。

加藤 僕はいろんな人と話をすることで、世界がちょっとずつ広がってきました。「日本語のボランティアがあるよ」とか、「アメリカに行ったらどう?」とか、話をすることで知らなかった世界が見えたり、次の一歩を教えてくれる人と出会えた気がします。なので、やっぱりみなさんにも人とのつながりや出会いのきっかけは大事にしてほしいです。
そして、日本語教育を学んだから日本語を教えるというだけじゃなくて、僕のように教える以外の関わり方もまだまだあるのかなと思います。なので、ぜひそういった道も考えてみてほしいです。

インタビューを終えて

瀬尾ま 私が担当している日本語教育プログラムの学生には、プログラムの受講を通して、「やっぱり教えることに興味がないかも…」と教師になることをやめる人もいます。しかし、加藤さんのお話から、日本語教育を学んでできる仕事は、単に教室で教えるだけではないということがわかります。第1回の神吉さんもお話されていましたが、「教室」や「教える」ことにとらわれないキャリアとしての“日本語教師”像を、私たちはもっと伝えていかないといけないなと思いました。

瀬尾ゆ 大学・大学院で日本語教育を学びつつ、今は日本語学校の事務職員として留学生を支えている加藤さん。加藤さんのように日本語教育のことをよく知っている人が様々な分野で活躍することで、日本語教師以外の職種や日本語教育以外の分野との橋渡しができるのではないかと感じました。

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